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13才

先日、長女が13才になった。
いやはや、ずいぶん遠くに来たもんだ・・・・(遠くを見ながら)
ここまで、いろいろあった。(うなづく)

私は、お恥ずかしながら全てにおいて頭デッカチな部分があり、
「私は子どもができても、『子どもで人生がガラッと変わった!』とか『子どもなしでは今の私はあり得ない』とか、『育児は育自』とか、そういうことは言イタクナイワ。」とすかしていた。

SNSですらすごい神経をつかって、子どものことをアップしたりしなかったり、うまく書けないけど、とにかく"子どもを持つ自分"というものに対する私のメンタルはえらいメンドウなことになっていた。(いる)。

ここでなぜか思い出話をする。したくなったのでしてみる。

私は自分が四人姉妹で育って、喧嘩もいっぱいしたけど、やっぱり楽しいこともいっぱいあったので、「子どもはたくさんいるものだ」と思い込んでいたし、年下の子と遊ぶのも好きで、大学時代は学童に行って子どもたちと遊ぶサークルに入ったりして、「大人になってお母さんになるならたくさん子どもがいるといいな」と単純に思っていた。

親は大雑把に言うと以下のような教育方針であった。「女でも仕事をする時代だ。勉強をしっかりしなさい。でも女の人は仕事をする上でハンディがあるから、結婚出産しても続けられる仕事をするといい。」私は小さい頃からなぜかずっと演劇が好きだったので、どうにかして演劇で食べていけないかなあなどと夢見ていたのだが、両親は「そんなのとんでもない。絶対無理。才能のある一握りの人がなれる世界だ。それより弁護士なんていいぞ。アユミは口答えばっかりするからきっと弁護士になれる」(と直接言われたかどうか記憶にないが、私の脳内ではこう受け取った。)

口答えは、確かに上手だった。親と口喧嘩しながら「あ、これ私勝ってるよね」と冷静にいつも思っていた。しかもわりと正義感が強く、転校したてのくせに、同級生がイジメの一歩手前みたいにクラスでいじられているのを見て、「良くない!」と先生にチクるなどの行動も記憶にある。

「司法試験に通ったら一生資格を持っていられるため、出産育児でキャリアを中断しても続けられる、しかも高収入♡」との情報を得て、私は「ほほー、それならまず司法試験受かってベンゴシになって演劇すればイイジャン。演劇はさー、お金かかるからさー、アルバイトしながらじゃいつか倒れるだろうし・・・ベンゴシナイス!」と法学部に入った。

しかし、残念ながら、親も私も忘れていた。アユミさんは地道にコツコツ試験勉強、しないタイプだったことを・・・試験、いつも一夜漬けだったことを・・・。

私は高校時代からの演劇仲間と学生劇団を立ち上げ、ひたすら「芝居を打つ」ことのみに人生を捧げていた。空いた時間は子どもと遊ぶサークル活動に邁進。六法全書はパリパリの新品のままだった。

なんとか職を手にと親が出してくれた司法試験の通信教育や翻訳家になるための通信教育、まったく役に立たずにお金を無駄にしてしまって、私は今でも胸が痛い。結果やるやる詐欺師になってしまったが、「世の中的に正しい選択」と「本人的に正しい選択」は違ったのだなと今は思う。

自分がすごく悩んで落ちてた時、「親が好きな道に行くのに反対して親の価値観を押し付けたから私は今イケテナイんだ」と親を恨んだ。で、その後、「いやいや、ベンゴシ無理ってさっさと悟って、親に反対されても自分でバイトしてでも演劇続ければよかったじゃん。そんな勇気がなかった自分が悪いよね」と自分を責めた。で、その後世の中の価値観とか常識を恨んでみたりしたこともあったけれども・・・今は、「まあ、しかたないわ」って思う。

親も一生懸命その時の状況で良かれと思って私のことを考えてくれていたのだし、私は私で、その時代の価値観に沿って自分で判断をしたし、演劇じゃないことをいろいろやって来たことは、やっぱり面白いことばかりだったのだし。

改めて思うのは、私が社会に出た20年前より、娘が生まれた13年前より、世の中は、変わった。そのことを今受け止めて、じゃあどうするかって方向転換していくしかない。

なんだか、娘13歳に寄せて書こうと思ったのに、思い溢れてしまってまとまりがないぞ。

彼女に出会えたことは、一人の友人に出会えたということとあまり変わりがなく、もちろん親だから、必要なお世話的なことはいっぱいやったし、密度の濃いお付き合いであることは間違い無いのだけど、いっぱい学ばせてもらってるし、偉そうなことは何一つ言えないし、やっぱり人と人として付き合いたいと思う。だからお互いから見て「え?!なんでそうなの?!」ってこともあると思うんだけど、それは「うちはうち、よそはよそ」的な、割り切りをしていかんといけないのだなと思う。っていうか最近すごくそう思えて、娘に対してイラっとすることがなくなった。これは友人が自分の価値観に合わない行動をしていても「へーそうなんだ、面白いわー私はしないけど」的な距離を取るのと同じだ。


娘は今、「絶対○○になりたい!」という明確な目標がないことに焦っているのかなと感じることがあるのだけど、その時々、自分が面白いと思ったものに没頭して、好きだと思った人の本を読んだり、instagramを見たりしていること、それが全て、何かぴったりしたものにいずれ出くわす道だから、心配ないよ!って、それだけ言いたいかな。
親は、「あなたは○○が好きなの?じゃあ××になったら?!」みたいにすぐ言っちゃうし、子どもは真面目だからそれを真に受けて「じゃあそうしようかな・・・・」と従っちゃうかもしれないけど、その後「いや、あまりピンとこない・・・でも・・親の期待に応えたい・・・でも無理・・・ウワーー!!」みたいになってほしくないなと思う。
私も、しょっちゅう言っちゃう。
親は、子どもが自立してくれることがゴールだから、親自身が安心したくて、そういうことを言っちゃうんだろうけど・・・やっぱり娘が世に出る頃、今の価値観もまたきっと変化していて、現在娘の価値観にフィットする職業名がなくても、なんらかの形になってゆくのだと思う。

自分の腹の中にある輝く星の光だけを頼りにして進むといいよ。

ひとのアドバイスを聞いても、最終的にピンとこなければ「アドバイスありがとう。でも私は別の道をゆきますね」と断ってね。まあ、私より、あんたの方がその辺はっきりしてるから安心している!

私は言うつもり。
あなたがどんな突飛な方向に進もうと、
「できるできる!あなたならできる!」と。

私は言わないつもり。
あなたが挑戦して失敗して、ズタズタになっても
「それ見たことか」と。

私は、あなたではないから、
精一杯の応援することしかできないけど、
あなたの周りには、すでに素晴らしい大人たち、友人たちがいっぱいいるから、ぽんつくな母に足りないところは、皆さんに教えてもらってね。

いやはや、
いやはや、
お誕生日おめでとう。



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