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旧優生保護法に関する最高裁判決文を読んで抑えがたい感動を覚えた

先日、旧優生保護法に関する最高裁の判決が出た。全面的に被害者に寄り添った判決である。判決文はかなり踏み込んだもので、読んでいて興奮もし感動もした。判決文を読んで感動を覚えるとは思いもしなかったことである。そのことをどうしても記録に残したかった。



令和六年にくだされた五つの判決

2024年7月3日にくだされた旧優生保護法に関する最高裁の判決は、全部で五つある。

  • 原審  札幌高等裁判所  上告棄却

  • 原審  仙台高等裁判所  破棄差戻

  • 原審  東京高等裁判所  上告棄却

  • 原審  大阪高等裁判所  上告棄却

  • 原審  大阪高等裁判所  上告棄却

これらは全て同じ判決だ。仙台高裁のものが「破棄差戻」になっているが、これだけが被害者が上告したもので、他は国が上告したものである。国の上告は全て棄却された。四つともに全てである。唯一、破棄差戻となっている仙台高裁は、原審(高裁の判決)が被害者の訴えを退けたものであり、これを破棄するということはすなわち高裁の判決を否定することに他ならない。被害者側が不服とした高裁の判決を否定したわけで、これも被害者側の意を汲んだ判決である。国は全面敗訴であり、文字通り苦節七十余年目にしてようやく被害者達の苦悩悲しみに向き合う判決となった。


破棄差戻とは何か

上告棄却はわかりやすい。高裁の判決を不服として最高裁に上告したものに対して、その上告を棄却するということである。上告は棄却され、高裁の判決が支持される。不服という訴えは受け入れられなかったことになる。

では、破棄差戻とは何か。何を破棄してどこに差し戻すのか。
破棄するのは原審、高裁の判決であり、再び高裁に審理を差し戻すことを意味する。最高裁が高裁の判決を破棄するというならば最高裁が別の判決を下すのかというとそうではない。もう一度高裁に差し戻して審理のやり直しを指示する。高裁の判決は支持できないからもう一度高裁に差し戻すので審理をやり直せと、こう言っている。最高裁が判決をくださず高裁に差し戻す理由はわからない。そうすべきなのか、そうした方がいいのか、なんとなくそうしているのか。いずれにしても現状はそうしている。

もう一度高裁に審理をやり直せと言っているわけであるから、差戻後の控訴審の結果がどうなるのかはわからない。が、最高裁の判決は強く影響する。最高裁が認められないとした点がそのまま残ることはおおよそない。さらに今回の場合、他の高裁が違う判決を出しているわけで、おそらくは差戻後の控訴審も国の敗訴になるかと思われる。その時に国はどうするのか。まさか、また最高裁に上告するのだろうか。

※ここで「やり直し」と書いたが、差戻は原審を白紙に戻して最初からやり直すというわけではないらしい。確かに最初からやり直すのでは前審理はなんだったのかということになる。上級審の指摘を受けて「継続して」審理せよということになる。


旧優生保護法とはどんな法律だったのか

そもそも、旧優生保護法とはどんな法律だったのか。それは本判決文に詳しい。なお、旧優生保護法の条文は次リンク先で参照できる。

判決文の記載は少々長いため私の判断で簡略化して抜粋する。

優生保護法は、
昭和23年6月28日に成立
同年7月13日に公布
同年9月11日に施行された法律である。

本人、もしくは配偶者が遺伝性の精神疾患にあるとき、もしくは4親等以内に遺伝性の精神疾患者がいるときなどにおいて、墮胎や不妊手術を強いられる

該当する疾患にかかっていることを確認した場合、都道府県優生保護委員会に優生手術を行うことの適否に関する審査を医師が申請することができる

優生手術に関する判決が確定したときは、都道府県優生保護委員会の指定した医師が優生手術を行う

昭和24年には「申請することができる。」が「申請しなければならない。」に改められた。

昭和28年6月12日、厚生事務次官が「優生手術が本人の意見に反しても行うことができるものであること、真にやむを得ない限度において身体の拘束、麻酔薬施用又は欺罔等の手段を用いることも許されること」を通知した。

昭和29年12月24日、厚生省公衆衛生局庶務課長は「優生手術が実施計画を相当に下回る現状にあるので、なお一層の努力をいただき計画どおり実施するように願いたい」旨の通知を発出した。

昭和32年4月27日、同局精神衛生課長は「例年、優生手術の実施件数が予算上の件数を下回っている実情であり、当該年度における優生手術の実施についてその実をあげられるようお願いする」旨を通知した。

そうして、このような非人道的な法律が延々と五十年間も続くのである。これが先進国と言われる国のすることか。


旧優生保護法は憲法の何に違反するのか

旧優生保護法は、憲法の次の条文に違反するとされている。

第十三条 すべ て国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない

優生保護法とは、最大どころか全く個人を尊重せず、差別としか言いようのない法律である。


裁判の争点はどこにあるのか

今回の一連の上訴にて、旧優生保護法が憲法違反であるということ自体は争われていない。旧優生保護法が憲法違反であることに、国は問題視していない。ならば裁判の争点はどこにあるのか。

改正前の民法724条後段にある、期間の経過により請求権が消滅したか否かが問われている。

<改正前民法>
(不法行為による損害賠償請求権の期間の制限)
第724条
不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは、時効によって消滅する。不法行為の時から二十年を経過したときも、同様とする。

承知の通り、優生保護法は五十年の長きにわたって存在し続け、廃止されてからも既に三十年に迫ろうとしている。提訴が始まった六年前をみても時の経過は少なくない。それほどに長い期間を経た後に被害者の損害賠償が認められるのか。国は、憲法違反であることは問題にしていない。だが、既に時効である。そう主張している。主な焦点はそこにあった。


除斥期間に対する最高裁の判断

最高裁はこの「不法行為の時から二十年を経過したときも、同様とする。」なる一文を今回の上告についてどのように判断したのか。判断の部分を転記してみる。

改正前民法724条後段の規定は、不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであると解されるところ、本件請求権の除斥期間は、本件訴えが提起される前に経過している。しかしながら、除斥期間の経過による効果を認めるのが著しく正義・公平の理念に反する特段の事情がある場合には、条理にもかなうよう、時効停止の規定(同法158条から160条まで)の法意等に照らして、例外的に上記効果を制限できると解すべきであるところ、本件請求権については、上記特段の事情があるものとして、本件規定が憲法の規定に違反していることを上告人が認めた時又は本件規定が憲法の規定に違反していることが最高裁判所の判決により確定した時のいずれか早い時から6か月を経過するまでの間は、上記効果が生じないというべきである。そして、第1審原告らは、上記効果が生ずる前に本件訴えを提起したといえるから、本件請求権が除斥期間の経過により消滅したとはいえない

難しい文章である。最後の文章「本件請求権が除斥期間の経過により消滅したとはいえない」だけがなんとかわかろうかというものだ。

まず「除斥期間」とは耳慣れない言葉である。
請求権が存続する期間である。この期間を過ぎると請求する権利を失う。今回の場合、不妊手術などの不法行為を受けてから二十年が過ぎると損害賠償の請求権を失う、そういうことになる。

消滅時効(いわゆる一般に時効と言われるもの)と違い停止期間がない。このため「除斥期間」では二十年が経過するととにかく請求権が消滅してしまう。

ちなみに改正前民法724条後段の規定について、これが「除斥期間」なのか「消滅時効」なのかの明記はない。明記されてはいないのだが、多くは「除斥期間」と見られてきたようだ。だが、除斥期間であるとすると停止期間がない。二十年が経過すれば請求権はなくなる。

このため、まずこう言っている。

「除斥期間の経過による効果を認めるのが著しく正義・公平の理念に反する特段の事情がある場合には、〈中略〉、例外的に上記効果を制限できると解すべきである」

「上記効果を制限できる」、すなわち「停止期間を設け得る」としている。では、どこからどこまでが停止期間であるのか。

「本件規定が憲法の規定に違反していることを上告人が認めた時又は本件規定が憲法の規定に違反していることが最高裁判所の判決により確定した時のいずれか早い時から6か月を経過するまでの間は、上記効果が生じない」

そう。「優生保護法が憲法違反であると政府が認めた時」までを丸ごと停止期間としたのである。

優生保護法が憲法違反であると政府が認めたのがいつであるのか。正確にいつのタイミングがそうであるのかわからない。優生保護法を改定し優生思想を排除した1996年ではないだろう。そのときにはまだ憲法違反の見解はなかったと思われる。では、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律」が成立した平成31年だろうか。だが、この時点でも憲法違反であると明言していたかどうか。

もしかして、優生保護法が憲法違反であると政府が認めたことはまだないのか?  一方で「最高裁判所の判決により確定した時」というのは今回の2024年7月3日である。もしかしたら、除斥期間のカウントダウンもまだ始まってさえいないのかもしれない。


国の上告に対する最高裁の反論

国が上告した理由は次のようなものである。

最高裁昭和59年(オ)第1477号平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁(以下「平成元年判決」という。)その他の判例によれば、本件請求権は、改正前民法724条後段の期間の経過により消滅したというべきであり、原審の判断には同条後段の解釈の誤り及び判例違反がある

「改正前民法724条後段の期間の経過により消滅したというべき」云々に対しては既に反論済である。しかし、ここにはもう一つ問題がある。「平成元年判決」である。これは最高裁の判例だ。

既に最高裁の判例があるではないか

そう指摘しているのである。その判例に反すると。

この上告理由に対する反論は長い。実に五頁近くに及ぶ。長くはあるんだが、一方でこの部分こそが本判決文の真骨頂とも言える。

まず最初にこのように言い切る。

しかしながら、本件の事実関係の下において、除斥期間の経過により本件請求権が消滅したものとして上告人が損害賠償責任を免れることは、著しく正義・公平の理念に反し、到底容認することができない平成元年判決が示した上記の法理をそのまま維持することはできず、除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用となる場合もあり得ると解すべきであって、本件における上告人の除斥期間の主張は、信義則に反し、権利の濫用として許されないというべきである

「到底容認することができない」
「信義則に反し、権利の濫用として許されない」

相当に強い調子である。のみならず平成元年判決をそのまま維持することはできないとも言っている。判例を否定しかねない勢いである。最高裁が最高裁の判例を否定するとすれば、それは余程のことと言える。

憲法13条は個人の尊厳と人格の尊重を宣言しているところ、本件規定の立法目的は、特定の障害等を有する者が不良であり、そのような者の出生を防止する必要があるとする点において、立法当時の社会状況をいかに勘案したとしても、正当とはいえないものであることが明らかであり、本件規定は、そのような立法目的の下で特定の個人に対して生殖能力の喪失という重大な犠牲を求める点において、個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反するものといわざるを得ない

このように優生保護法そのものを厳しく批判する。

しかし、同規定は、本件規定中のその余の規定と同様に、専ら優生上の見地から特定の個人に重大な犠牲を払わせようとするものであり、そのような規定により行われる不妊手術について本人に同意を求めるということ自体が、個人の尊厳と人格の尊重の精神に反し許されないのであって、これに応じてされた同意があることをもって当該不妊手術が強制にわたらないということはできない。加えて、優生上の見地から行われる不妊手術を本人が自ら希望することは通常考えられないが、周囲からの圧力等によって本人がその真意に反して不妊手術に同意せざるを得ない事態も容易に想定されるところ、同法には本人の同意がその自由な意思に基づくものであることを担保する規定が置かれていなかったことにも鑑みれば、本件規定中の同法3条1項1号から3号までの規定により本人の同意を得て行われる不妊手術についても、これを受けさせることは、その実質において、不妊手術を受けることを強制するものであることに変わりはないというべきである

「同意があったもので強制ではない」という主張も全否定している。

『本人に同意を求めるということ自体が、個人の尊厳と人格の尊重の精神に反し許されない』

この一文には胸を打たれる。虐げられてきた人たちの多くはこのような状況に直面している。同意を求められ煩悶しながらも首肯せざるを得なかった被害者たちの反駁したいと思う心の中がこの一文に込められているようでさえある。

本件規定は、①特定の障害等を有する者、②配偶者が特定の障害等を有する者及び③本人又は配偶者の4親等以内の血族関係にある者が特定の障害等を有する者を不妊手術の対象者と定めているが、上記のとおり、本件規定により不妊手術を行うことに正当な理由があるとは認められないから、上記①から③までの者を本件規定により行われる不妊手術の対象者と定めてそれ以外の者と区別することは、合理的な根拠に基づかない差別的取扱いに当たるものといわざるを得ない。

さらに加えて、優生保護法が差別的であると断言する。

改正前民法724条は、不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図した規定であると解されるところ、上記のとおり、立法という国権行為、それも国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害することが明白であるものによって国民が重大な被害を受けた本件においては、法律関係を安定させることによって関係者の利益を保護すべき要請は大きく後退せざるを得ないというべきであるし、国会議員の立法行為という加害行為の性質上、時の経過とともに証拠の散逸等によって当該行為の内容や違法性の有無等についての加害者側の立証活動が困難になるともいえない。そうすると、本件には、同条の趣旨が妥当しない面があるというべきである

そもそも改正前民法724条は何のためにあったのか(現在でも表現は若干変わっているものの同等の民法は存在する)。

一つは、加害側被害側共に元の安定した生活に極力速く戻ることが望ましいとされるのだと思う。それが『不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図した規定である』という表現になるのだろうと思われる。あまりに長期におよび相当に過去の行為を取り上げられることは加害側と言えども時には負担が大きすぎる。

しかしながら、今回の件は『立法という国権行為』が加害側にあり、法そのものが違憲であるという状況において、『法律関係の速やかな確定』を望むなどということは本末転倒とも言える。

二つ目には、長く時間が経過すると証拠が散逸する。その場合、加害状況を立証することは困難になる。しかし、今回は『国会議員の立法行為という加害行為』であり、法を制定する経緯も記録されているてあろうし、証拠の散逸も懸念されない。

結果、改正前民法724条を適応するにはあたらないとしている。

法律は、国権の最高機関であって国の唯一の立法機関である国会が制定するものであるから、法律の規定は憲法に適合しているとの推測を強く国民に与える上、本件規定により行われる不妊手術の主たる対象者が特定の障害等を有する者であり、その多くが権利行使について種々の制約のある立場にあったと考えられることからすれば、本件規定が削除されていない時期において、本件規定に基づいて不妊手術が行われたことにより損害を受けた者に、本件規定が憲法の規定に違反すると主張して上告人に対する国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求権を行使することを期待するのは、極めて困難であったというべきである。本件規定は、平成8年に全て削除されたものの、その後も、上告人が本件規定により行われた不妊手術は適法であるという立場をとり続けてきたことからすれば、上記の者に上記請求権の行使を期待するのが困難であることに変わりはなかったといえる。そして、第1審原告らについて、本件請求権の速やかな行使を期待することができたと解すべき特別の事情があったこともうかがわれない。

不満があるなら早々に賠償請求すべきであり何をいまさら、などという理屈は通らない。強い強制力があった中で賠償請求するのは極めて困難である。不妊手術に従わざるを得なかった人々に声を上げなかったことを非難できようか。屈辱を胸の内に飲み込むしかなかった人々に何故反論しなかったと批判できようか。それこそが二次被害というものである。長期に渡って自らの非さえも認めなかったものがそれを非難できる立場になどない。

裁判所の国会非難はまだ続く。

加えて、国会は、立法につき裁量権を有するものではあるが、本件では、国会の立法裁量権の行使によって国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な本件規定が設けられ、これにより多数の者が重大な被害を受けたのであるから、公務員の不法行為により損害を受けた者が国又は公共団体にその賠償を求める権利について定める憲法17条の趣旨をも踏まえれば、本件規定の問題性が認識されて平成8年に本件規定が削除された後、国会において、適切に立法裁量権を行使して速やかに補償の措置を講ずることが強く期待される状況にあったというべきである。そうであるにもかかわらず、上告人は、その後も長期間にわたって、本件規定により行われた不妊手術は適法であり、補償はしないという立場をとり続けてきたものである。本件訴えが提起された後の平成31年4月に一時金支給法が成立し、施行されたものの、その内容は、本件規定に基づいて不妊手術を受けた者を含む一定の者に対し、上告人の損害賠償責任を前提とすることなく、一時金320万円を支給するというにとどまるものであった。

憲法第十七条とは次のようなものである。

第十七条 何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

国は、優生保護法を削除した後でさえその非を認めることなく、賠償金でもなく一時金を支払ってお茶を濁したにすぎない。そういった国会の姿勢を厳しく批判している。

そうして、平成元年判決についてこのように結論付けた。

そして、このような見地に立って検討すれば、裁判所が除斥期間の経過により上記請求権が消滅したと判断するには当事者の主張がなければならないと解すべきであり、上記請求権が除斥期間の経過により消滅したものとすることが著しく正義・公平の理念に反し、到底容認することができない場合には、裁判所は、除斥期間の主張が信義則に反し又は権利の濫用として許されないと判断することができると解するのが相当である。これと異なる趣旨をいう平成元年判決その他の当裁判所の判例は、いずれも変更すべきである。

判例を変更すべき。

判例主義に対する批判も従前より少なからず存在するが、判決そのものに不公平があってはならず、毎回違う判決では法が法として安定しない。従って一貫した判決を続けるということにも一理はある。但し、過去の判決が間違いであるならばどうだろう。時代と共に価値観が変わることもある。間違いを間違いと認めないことが正義であるとは到底思えない。

今回、意を決して最高裁が過去の判例を違うとしその判決を改めたならば、それは決して容易ではなかっろうし煩悶もあったろう。だが、議論を尽くした上でのことであるならば、それこそが公正公平なことであるならば、多くの人は受け入れるであろうし、法としての安定性が損なわれることにはならないのではないだろうか。

私は一国民として、この判断を素晴らしいと思う。


判決文に補足された意見

本判決文には補足意見が付いている。今回の最高裁判所大法廷では十五名の裁判官が協議した。中には附言したいということもあり得る。そういうような時に補足意見として付記される。今回は三名の方が補足意見を付けておられる。それが、大変素晴らしい。少し長いが引用する。

  国は、本件規定が削除された後も長年にわたり、被害者の救済を放置してきたものであり、一時金支給法による一時金の支給も、国の損害賠償責任を前提とするものではなく、その額も十分とはいえない。また、これまでにその支給の認定を受けた者は、不妊手術を受けた者の総数に比して極めて低い割合にとどまる。
  このような状況において、平成元年判決等が示した法理が今日まで維持されてきたことは、国が損害賠償責任を負わない旨の主張を維持することを容易にするなど、問題の解決を遅らせる要因にもなったと考えられるが、国が必要な立法措置等により被害者の救済を図ることが可能であったことはいうまでもない。
  これらの事情に加え、被害者の多くが既に高齢となり、亡くなる方も少なくない状況を考慮すると、できる限り速やかに被害者に対し適切な損害賠償が行われる仕組みが望まれる。そのために、国において必要な措置を講じ、全面的な解決が早期に実現することを期待する。

本件において注目すべきことは、本件規定の違憲性は明白であるにもかかわらず、本件規定を含む優生保護法が衆・参両院ともに全会一致の決議によって成立しているという事実である。これは立憲国家たる我が国にとって由々しき事態であると言わねばならない。なぜならば、立憲国家の為政者が構想すべき善き国家とは常に憲法に適合した国家でなければならないにもかかわらず、上記の事実は、違憲であることが明白な国家の行為であっても、異なる時代や環境の下では誰もが合憲と信じて疑わないことがあることを示唆しているからである。
  上記の事態を踏まえて司法が取り得る最善の対応は、為政者が憲法の適用を誤ったとの確信を抱くに至った場合にはその判断を歴史に刻印し、以って立憲国家としての我が国のあり方を示すことであろう。
  しかりとすれば、当審は、粛然として本件規定が違憲である旨の判決を下すべきであり、そのためには、本件請求権が除斥期間の経過によって消滅したという主張は信義則に反し、権利の濫用に当たると判断しなければならない。
  これを要するに、本件請求権が除斥期間の経過によって消滅したと主張することが信義則に反し、権利の濫用に当たるとすることは、改正前民法724条の立法趣旨に反しないばかりか、その立法趣旨の一部であるところの善き国家の構想・実現という理念を積極的に推進するものである
  以上により、本意見が正鵠を射たものであることはより一層明らかとなったといえるのではないであろうか。

旧優生保護法が衆参両院の全会一致で決定したとは知らなかった。組織とは、時に人権を顧みず憲法を忘れたかのごとき方向に向かうことがある。立法がそうであるならば、司法はそれを指摘し、そうしてまた歴史に刻印すべきである。そう言っている。

旧優生保護法が成立したのは七十年以上も前の古い話である。時代が変わりきっていない時であったからと片付ける向きもあるかもしれない。いや、しかし、いつの時代にもあり得ることなのである。司法に任せるばかりでなく、皆で目を光らせ否と言わねばならない。旧優生保護法については今の今まで放置してきた全国民にも、間違いなく非がある。


今後の国家賠償請求

今後の国家賠償請求はどうなるだろうか。もしかしたら、実質的に時効はなくなるのかもしれない。でも、それでいい。今まで顧みることのなかった事実をどんどん洗い出せばいい。国は、国民は、それを直視すべきだ。

この国はどうにも過去の負の遺産に目を背ける傾向があるように思えてならない。だけれども、そうやって目を背けて前に進めることなど、ない。決して、ない。人権に対して極めて低次元に甘んじているのもそのせいではないのか。人権先進国をこそ、目指すべきではないのか。


最高裁の判決文はこちらからダウンロード

最高裁の判決文は以下からダウンロードすることができる。★印の判決文がメインである。補足意見は本判決文にのみ記載されている。

原審  札幌高等裁判所  上告棄却
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=93164

原審  仙台高等裁判所  破棄差戻
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=93163

原審  東京高等裁判所  上告棄却
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=93162

原審  大阪高等裁判所  上告棄却
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=93161

原審  大阪高等裁判所  上告棄却★
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=93159


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