川となる――樫本由貴「緑陰」(「週刊俳句」第五三七号)について

樫本由貴が「週刊俳句」(第五三七号)に寄稿した「緑陰」( http://weekly-haiku.blogspot.jp/2017/08/blog-post_77.html )に心が動き、率爾ながら感想を書こうと思った。率爾と思うのは筆者が普段の樫本からさんざん原爆と文学の話を聞いているからで、感想を書くにしてもその話を祖述することになる虞がある。ゆえに以下、表現に即して読む。醜陋な断り書きに見えるかもしれないが、何年か前に広島市在住の作者を訪ねて被爆地を案内してもらった身としては、こう言っておかないととてもじゃないが感想を公開する気になれない。

「緑陰」三〇句には「川」のモチーフが集中する。

川遠や鳥に濃うなる樫若葉 樫本由貴
川音の近さに薔薇の褪せはじむ 同

この二句の並びは連作中の「川」の働きを示唆している。ともに原因を表す格助詞「に」が用いられているが、川から離れた一句目で「樫若葉」を変化させているものが「鳥」であるのに対して、川を間近にした二句目では川音そのものが「薔薇」を変容させている。

「緑陰」において、川に接近した対象物は、川に取り込まれてゆく。

水馬やみづのまだらを被爆以後 同

上五で切れているため、取り合わせの句と解釈するのが自然かもしれないが、「蛸壺やはかなき夢を夏の月」(芭蕉)など俳諧の作品にみられる、主語の位置と切れの位置とがずれる文体を取った句と読んだほうが、この「水」はより具体的に想像できるだろう。濁り、まだら模様をなした水に水馬が浮かんでいるのだ。下五の「被爆以後」という表現に鑑みると、原爆投下に際して被爆者が殺到し、落命したことで知られる元安川をイメージしてもいいかもしれない。広島市の中心を、そして原爆ドームのすぐそばを流れる川だ。また「以後」という謂いからは、この「みづのまだら」という状態が長らく続いている状況を想起することもできる。「被爆以後」にありつづける「まだら」からケロイドを連想すれば、身体に宿りつづける「みづ」に、前出の「川」と同様のありようを見て取ることもできる。

夏帽子抱かれてより川なりけり 同

抱き寄せられ、ないしは抱き上げられることによって、自身の視界が移動し、そこに川が現れた――と読むと具体的な光景が想像できるだろうか。一方で「ありけり」ではなく「なりけり」であるので、あたかも抱かれた人その人が川となってしまったかのようにも読める。川は、低所や亀裂へ向かって水が流れることでできる。何らかの沈滞や欠落の思いにあった人が、それを満たしうる他者に抱かれることで、川として再生したのだ。

そんなふうに「緑陰」を読んでみると、序盤の、

素麺冷やして母系の家や猫までも 同

という句に流れる川の存在に気付く。母系家族か、そこまで厳密に取らないまでも、代々母の力の強い家族のことだろう。その家では猫までが母系だというのは、ユーモラスなようでもあり、家というものの不気味さを発しているようでもある。ここで主題化しているのは血脈である。血脈という川が家を貫いているのだと、レトリカルな言い方をしよう。この「家」は、社会制度上の「家」であると同時に、そこに人が住み続ける具体的な「家」だ。「素麺冷やして」という情景の生活感からこの「家」がくっきりと見えてくるし、「素麺」に向けられる清涼感が家ぢゅうに充満しているような印象も受ける。その中を流れる「川」の涼しさを思う。「素麺冷やして」という具体性が、血脈という川を肉付けしている。

川を孕む。この現象が「緑陰」を読む際に前景化してくるのは、「緑陰」そのものが、体質的に川を有しているからだろう。

鴨長明の「行く川のながれは絶えずして……」の例えを持ち出すまでもなく、川の流れは、時の流れを強く連想させる。「緑陰」三〇句じたい、広島原爆を主題とした作品でありながら、初夏から初秋までの"つづいてゆく時間"を描いた作品になっている。その時間とは、すでに神野紗希が指摘しているとおり( http://spica819.main.jp/yomu/20540.html )、秋へとつづく生者の時間だ。四季が円環と結びつく俳句的な思考の中では「原爆」という言葉が書き込まれた俳句を一九四五年へと回帰した時間の中で読むこともできるが、しかし「緑陰」は、多くの句に「以後」の様相を周到に配しながら、あくまでも生者の側に立って、いまある広島を描いてゆく。「緑陰」の描いた空間の中では、季節は円環に陥らない。流れた水が、川をさかのぼることがないのと同様に。

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