朧夜の坂転がり来猫の鈴/長島衣伊子
このところ夏バテ気味で、もともと無精なのに、いっそうだらしなくなって、やるべきことにいっこう手がつかない。頭を働かせるために、毎日ブログを更新することにした。日記めいたことを書いたあと、一句鑑賞を書くという体裁にする。マガジン名である「舊浦亭」というのは生駒大祐さんの作った詩歌SNS「poecri」をつかう際に、ユーザー名のほかにショップ名というのを登録しなければならないという必要上、苦し紛れに思いついた亭号である。月並宗匠じゃあるまいしとは思うのだが、作ったからにはこういうときに再利用すると頭を余分に使わないで済む。「舊浦」というのは「舊(フル)キ浦」すなわち霞ヶ浦であって、別段こういう言い方があるわけではないのだが、字面が映えるので採用した。
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きのう瀬名杏香から電話がかかってきて、七月の頭に上井草のちひろ美術館に行こうと誘われる。ちひろというのはいわさきちひろである。おれは二〇一三年にO先生と後輩のイケハラと行ったきりで、いまなら見て分かることが増えているだろうと思って、喜んでうなずく。
絵本というのは文化史研究的には未開拓の領域が多いのではないか。先日長逝したかこさとしにしても、作品がどのタイミングでどのように受容されはじめたのか、わかりやすく説明してくれる人がいればいいのに。
ながらく不思議におもっているのは馬場のぼるである。もともとおれは馬場の名前を漫画家として覚えていた。横山隆一らが立ち上げた職能団体「漫画集団」に名前が見えるのである。いまでは手塚治虫以外にはほとんどまともに評価されていない、トキワ荘グループ以前の戦後作家の一人である。
ところがこの馬場のぼるは、よくよく見れば、『11ぴきのねこ』を描いた絵本作家なのである。子供心に読んだ絵本なので作者なんか知るはずがない。数年前、気づいたときにはびっくりした。漫画家と絵本作家が越境しあっていた時代というものがどうやらありそうである。
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さて、今日の一句。
朧夜の坂転がり来猫の鈴/長島衣伊子「俳壇」二〇一八・六
朧夜というのは朧がかった夜空、あるいはそれが見える夜のことだから、正確に読めば「坂」自体が朧に包まれたかのごとく先の見えない状態になっているというわけでもないのだが、やはり、坂を包む闇の中から鈴が転がってきたという読みを誘惑する句ではある。
転がってくる鈴だから、首輪や紐がついているわけでもなかろうに、「猫の鈴」というふうな表現になっているのは、これはもう、雰囲気で押し切っているといってよいのではないか。もっともこれは批判しているのではない。朧夜なるものの感触を窈窕と描き出すのに「猫」というモチーフはぴったりだから。東洋的な化け猫を想像してもいいし、西洋の魔女に侍る、あるいは魔女自身が化けている猫を想像してもいいが、そういう、怪しげな猫である。
この句がすごくいいなと思ったのは、切れである。「来」で切れている。朧夜や、で切って、坂を猫の鈴が転がってくるというのではないのである。「朧夜や坂ころげきし猫の鈴」とするより、切れが利いている。というのも、「猫の鈴」というのは主語でありながら、述部である「転がり来」とは文法上切り離されており、その切れがシャープなのである。「猫の鈴朧夜の坂転がり来」でも主述が切れを挟んでいるのは同じだが、この案だと、いかにも主述の構文なのが分かりやすいから甘い。日本語は格助詞を省いても通じることが多いから、これでは散文と同じようなものなのである。やはり「朧夜の坂転がり来猫の鈴」でなければならぬ。「俳壇」の6月号でいちばん心に残ったのはこの句である。
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