東京家政学院高校俳句同好会部誌「Phenomenon」第3号

東京家政学院高校俳句同好会の部誌「Phenomenon」第3号(2016.10)が発行された。部員5人と顧問の句が掲載されている。

幽霊は左利きだと信じてゐた/大西菜生

〈信じ〉るという私的ないとなみが、しかも〈た〉という過去の時制によって捉えられ、あっという間に語り終えられてしまうこの句において、しかし不思議なことに、〈幽霊〉というものに与えられた〈左利き〉という性質は、なんだか納得しうるものであるように思われた。もはや〈左利き〉に生まれた子が右利きに矯正される時代でもあるまいが、この言葉がかつて持っていた人間の悲哀の記憶が、〈幽霊〉という、模糊として、そして懐かしい存在によって、不意に呼び戻されているかのようだった。

最も淋しいあたしの知床/神田くるみ

7音を1音ぶん逸脱した8音が対になる形で繰り返される奇妙なリズムに、われわれが〈最も〉と言い、〈淋しい〉と言い、〈あたし〉と言い、〈知床〉と言うときに使う感受性が、まるでその言語感覚を有しているのが自分ただ一人であるかのように刺激される。唐突に現れる〈知床〉という地名が、〈最も〉〈淋しい〉〈あたし〉といった自意識と隣り合うことで、誰にも知り得ないことを予感させる私性を帯びた。

鳥渡る祖父のあるいは禁色か/清水朱里

〈禁色〉は三島由紀夫の同名小説に由来する、同性愛を示す語だろう。それまで接してきた祖父の人物像と、知られざるその嗜好との較差に動揺し、その距離感が〈鳥渡る〉という季題のはるけきイメージに類比されている。語順は〈あるいは祖父の〉とした方が自然だろうが、その場合、〈の〉が連体修飾格として読まれ、〈鳥渡る(ということは言い換えると)祖父の禁色(のようなものだろうか)〉という一物仕立ての句になってしまう可能性がある。この句は取り合わせの妙を楽しんだほうがいい。その点について、掲句の表現はかなり周到と言わねばなるまい。

更衣室口内で酸っぱく水温む/古田聡子

同性しかいない〈更衣室〉という空間で起こるいくつかの典型的なドラマ(学校の更衣室、会社の更衣室……)が想起される。〈酸っぱく〉が、そういった人間関係の機微を思わせるものであると同時に、〈更衣室〉の汗臭さなども見せているのが巧い。口内の唾液を、本来は地理に用いる〈水温む〉の〈水〉に見立てた機知もさることならがら、その〈水〉に対して、〈酸っぱ〉く、また〈温〉いのだという、2つの知覚を与えた過剰さにも眩暈を覚える。

蔓の尾のだらとかしげる葛の雨/八品舞子

葛の花の蔓が雨の中でかしいでいるといったことを書いた句であり、〈蔓〉〈葛〉〈雨〉といった素材や着目点から、写生句のようにも読めるが、それにしては、この〈蔓〉が〈葛〉のものであるか読み切れないという表現上の欠点がある。だが、この微妙なズレ感は、はじめから企図されたものではなかったか。この部分だけではなく、〈だらと〉〈かしげる〉の重複した印象、〈葛の雨〉という俳句的表現、そしてそれらの調和を思うにつけても、これは単なる写生句というより、写生句的な語彙を配置した言語空間なのではないかと思うのだが、どうだろう。

友だちが友達に似て二人かな/児島豊

〈友だちが友達に似て〉いるという認識があったとして、つまりそこには二人の人間がいるのだ、という方向に思考が流れてゆくとは、なんとも可笑しい。だが、〈二人〉と括られ、互いに無個性な存在となった〈友だち〉と〈友達〉は少し切なくもある。〈て〉がもたらす飛躍、それを受ける〈かな〉のひびきのよさをを活かした句だ。殆んど意味を持たない内容を流し込むことによって、いわゆる「て―かな」の構文の性質を浮かび上がらせた。

個人的な感傷を記すが、関東に進学してからの三年間、縁あって同校の活動にしばしば顔を出してきた(卒業生でもないのに部活に来る僕を生徒は不審がっていたのかもしれないが)。メンバーの入れ替わりはあったものの、三年間で大会に出場した生徒はみな同学年であり、その生徒ら、そして先生と過ごした句会やディベート練習の時間は、関東に越してきてから得た財産の一つだ。一句の表現からどこまで読み切れるのか、意見を出し合いながらそのラインを探る作業に、ずいぶん勇気づけられた。

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