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たんぽぽ

どーも、あゆみーるです(^^)/

早いもので、2020年も4月がやってきました。

今回は、雑記です。実は数週間前には書いてはいたのですが、私ひとりの心にとどめておこうかと公開をためらっていました。ですが、少しでも誰かに見てもらえることができたら嬉しいなとおもいなおして、ここに書くにいたります。

私は、会社員なので、平日はお仕事があります。会社までは、毎日歩いています。道中は、畑があったり川が流れていたりする田舎道です。ある日、通勤中にふと視線を落とすと、みちばたにたんぽぽが綿毛をつけてツンと立っていました。たんぽぽは、間隔をあけて、ぽつんぽつんと1本ずつ生えていました。

その中のとある1本が不思議と気になり、それから毎日様子を見ていました。

「びっしりと綺麗に綿毛をつけているな」
「今日も変わりないな」
「いつタネが飛んでいくんだろう」
「今朝は雨だ。たんぽぽの綿毛は無事かな」
「今日は風が強いな。綿毛が半分くらいなくなっている」

最近は、風が強かったり雨が続いたりしていましたが、特段、たんぽぽになにか手を加えることもなく、通勤時にただただ経過を見ていただけでした。

すると、1週間ほどでほとんど綿毛がなくなりました。世代交代の時期がやってきたのね、と心のなかは、たんぽぽをねぎらう気持ちで「おつかれさま」と、口のなかで静かにつぶやきました。

お花屋さんで売られているような、人が手塩にかけて育てた花は美しいですが、私はあまり魅力を感じません。プライベートではお花屋さんで購入したことはありませんし、前職では仕事柄、花束をもらうことが多々ありましたが、もらったお花は全て、お花大好きな祖母に、「お店に飾ってね」と渡していました。

祖母は毎回嬉しそうにカウンターに飾っていました。私は、その祖母のウキウキした様子を見るのが好きでした。

私は、小学生の頃から、花壇に咲いているお花よりも雑草のほうに興味があったのを覚えています。シロツメクサ、オジギソウ、かすみ草などなど。(かすみ草は、前職で1回だけ、もらった花束に入っているのを見たのですが、そのときはじんわりと嬉しくなりました)

高校生のころ、同級生が地域の代表に選ばれたので、全県の弁論大会を聞きにいく機会をいただきまして、公欠扱いで私も出席しました。

彼女は弁論大会に向けて、とても努力していました。放課後は職員室に通い、国語の先生と何度も調整していました。私は、ホームルーム教室や広場での彼女の練習につきあったことがあります。彼女自身、悩みながらの練習だったようにおもいます。

しかし、どんなに練習していても、自身の主張に真剣に向き合っていても、私は、恵まれた環境で育った彼女の弁論にはまったく魅力を感じませんでした。(ごめんね)

ここで誤解してほしくないのですが、私はただ、頑張っていた彼女を尊敬していますし、見知らぬ大勢の人の前で話すのは勇気がいることだとおもいます。友だちとしても、私に優しく(ときには厳しく)接してくれて本当に大好きな方です。

先ほどの話しに戻ります。
たんぽぽは、雑草です。たまたまタネがそこに落ち、根を下ろし、成長していきます。自分でその場所を選んで生まれ落ちるわけではなく、あくまでも風が運んでくれたところを一生の住処とするわけです。

私は、大家族であり貧乏であり、決して恵まれた環境で育ったわけではありません。しかし、そんな状況でも、悲観して人生を投げださずに、自力でできるだけの時間と環境を作って、ひたすら勉強に青春を費やした過去があるから、今の私があります。

通勤路でふと気になったのは、置かれた環境で、健気にたくましく生きているたんぽぽに、自分の人生が重なってみえたからなのかもしれません。

たんぽぽを見て自分自身をかえりみて、あの頃描いていた未来の自分よりいい状況なのは、昔の自分に誇れますし、ここからまた未来の自分を想像しながらスキルアップ(精神的にも)していきたいとおもいました。

人生をより豊かにするには、マインド次第!上を向いて歩こう!
と、歩く姿勢を正し少し上を向いたら、空の手前にキレイな桜が見えて、先は明るいぞ!あぁ今日も幸せだなと感じました。

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