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モデルレッスンを受けて。


1.レッスンを受けて

かれこれ、2022年10月からモデルのレッスンを受講していて、
気がつけば1年半以上、そろそろ2年。

私が1番の古株になっていた。

私の受講するレッスンは、少々変わっていて
モデルのレッスンといえば、
ウォーキング、ポージング、それがメイン。
こんなところだと思うのだが、
私の受講しているところは、毛色が全く違う。

基本的な内容は、
・先輩からの体験談や経験による話
・心構え
・宣材写真の作り方
などなど、これらはほんの一部であるが、
座学がメインなのである。

ウォーキング、ポージングもやるが、
決してメインではない。

これは私にとって、青天の霹靂であった。

そして、ここからが奇怪なポイント。

師は、ずっと同じ話をし続けるのである。

半年に一度、新しい受講生が入ってくる。
つまり、参加者は半年間周期で、同じ話を
その場で聞き続けるのである。

私に至っていえば、なんともう、4周目、
である。
いくら好きなRPGゲームであっても、4周は多いし、
先がわかってしまって面白くないだろう、と。
なぜ私はそこに居続けるのか、と。

奇怪であるが、興味深い部分であるのが、
「経験や環境によって聴いている内容は
 同じであるのにも関わらず、
 聞こえ方が違ってくるということ」

まぁ、違うように聞こえるかもしれない、
と思いながら聞かないと、聞こえないものでは
あるが、そういう特性が、このレッスンにはある。

そして現状のレッスンには、私しか、
モデル事務所に所属しているモデルはいない。
他の全員が、タマゴ、なのか?しっくりこない。
兎にも角にも、モデルを目指そうとしている人達だけなのだ。

この座学の中で、質問があがる。
「私この前この撮影をしてきたんですけど
 宣材写真としてどう思いますか??」

この質問から汲み取るに、
その質問者的には、悪くない出来だと思っているのだろう。
もしくは、何が良くて、何が悪いのか、
全く見当も付かない、のだろうな。

そういう環境があることが、まずこのレッスンの良いところだと思うし、
質問者も回答者も学ぶことができる。

経験者である私は思う。
「わかる、まず、何が良いのか悪いのか、
 まじで分からないし、どうやったら
 分かるようになるのかすら分からない。
 なんなら、訳がわからない。
 分からないすら分からない。」

初々しいし、私もずっと思ってきたことだし、
今でも正解はわからない。

一つずつ、細かくみていって、
意見を交わし合い、そして言語化すること、

これ以外に方法はないと思う。
そして、なるほど、そういう視点があったか!
と学ぶことになるのだが、これがまぁ難しいよ
ね。

もちろん私も、なるほど、素人に近い感覚の人から見ると、
この写真はこう見えるのか、とか。

同じモデルではあるが、区分けすると畑が違うモデルの人、
あるいは、違う市場で戦ってきた人、の意見を聞いたりすると、
ほうほう、なるほど!!そういう視点もあるのか!と勉強になる。

今回もその質問を聞いて、
ふっ、青いな。と思いつつ、1年前の私を思い出していた。

訓練が必要である。
たくさんの情報を拾い上げるための訓練が。

モデルって、どうしても自分よがりになりがちだと思う。

自分がよく写ってる。
自分がカッコよく写ってる。
このポージングと表情がいい。など。

でもそれってあくまで、自分が思う理想に近いから、
それが良いと思うのであって、

カメラマンやヘアメイクにしてみれば、
良いと思わないポイントかもしれない訳だ。

更に言えば、
カメラマンやヘアメイクは、
“この撮影がそのモデルである理由”
を見出せているからこそ、供給過多な業界で
選ばれて撮影をしている訳なのだから、

その、私でなくてはいけない理由を客観的に
見つけ出せれば良いのだと思う。

まぁ、それは、自分の武器を他人から知ること
にもなると思う。

そんなことを考えながら1年半、撮影して
写真を作って、たまに仕事をしてきた。
そういった初心を、定期的に思い出すのである。

そして、師の言うことを、私の経験した内容と
照らし合わせながら聞くのである。

そうすると、驚くことに、その時、
この考えは絶対そうだ!と思っていたことも、
“その時は”絶対にそうだ!と思っていたこと、
に変わってくるのだ。

これが、このレッスンの、不思議なところであり
メリットだと思う。


2.改めてモデル事務所を見て

そしてその日は、モデル事務所に関しての
情報も師は伝えていた。

改めて、私も所属しているモデルを見てみる。

ハッキリと思う。

受かる気がしないし、所属できる気がしない。

弱気なのではなくて、私なりの1年半の経験から、受かる気がしなくなってきたのだ。

なぜかというと、ほとんどのモデルが、
ファッション性もありつつ、広告や一般的な
お仕事もこなせそうな印象を持つ。

一方の私は、眉毛無し、スキンヘッド、ピアス。
個性的であり、そこを狙ってキャラを作ってきたが、
実際に活動していくと、狭き門であると思う。

私がもしCMに出るとしたら、何役なんだよ。
ヤクザか?チンピラか?シャブ中か?

よくもまぁ、日本の事務所に所属させて貰ったもんだ。
半分奇跡みたいなものだな。

そして、モデル業界って、狭い。
ちゃんも仕事をすればするほど、狭い。
それほどに、ちゃんとモデルをしている日本人は少ないのかもしれない。
フリーランスや、タマゴばかりがたくさんいるのかもしれない。

供給は過多で、オーディションで仕事をとることは難しいし、
業界は狭く、売れているモデルは少ない。

モデル業とは、本当に思っている何倍も
泥臭くて、厳しくて、面白いなと思う。

ここ最近は、モデルを仕事と捉えなくしてきた。
ただの趣味で、師は名誉職またはオリンピックと言っていた。

こう捉えるようにしてから、かなり心が軽く感じる。

受けているダメージは少なく感じている。

ただ、仕事をする時、無料だろうが有償だろうが、
我々はプロにならなければならない。
だが、感覚としては、
金のかかる難しい趣味だ。

このレッスンの時、私は師に言った。

「1年を振り返った私の成績は、順調であると
 言えるし、確かに経験もさせて貰ったが、
 何か、一歩、いつも足りない。
 もう少しで高みを掴めそうで、いつもその
 一歩手前を掴んでいる。
 満点じゃなくて、いつも及第点なのだ。
 いつも何かが足りない、なんでだろう。」

師は私に言うた。

「お前はきっと、真面目すぎるんだな。
 きっと無意識的に、0か100かの選択を
 せず、常に合格点を取りに行っているんだ。
 お前はやっぱりサラリーマン上がりだな笑」

と。

確かにー!!!!!!

後退せず、大きな進展もせず、
常に少しずつ少しずつ、進んできた気がする。

石橋を叩いて渡っているように。

それでも良いのかな、と思いつつも、
でもやっぱり大きな一歩が欲しい。

意図的に一か八かの選択を仕組んでも良いのだが、
やはりその行動を恐いと思うのだから、
私は、元サラリーマンなのだな、と思う。

ただ、進んできた事実は変わらない。
だから、今は大器晩成を狙う、石橋くんになっても良いのかな、と思ったりもする。

サラリーマンを辞めて、モデルを選択したこと。
これは私の人生における唯一のギャンブルだった。

だが、やはり本質は、真面目だったらしい。

このレッスンは、いつも同じかもしれない。
でも、受け手次第で、如何様にも姿を変える。

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