『随筆・母』


 母は今、施設にいる。92歳だ。
認知症になり、体も衰弱した。毎日ウトウトと、眠って過ごしている。
去年の夏には、ヘルパーさんたちの手を借りながらも、ひとりで暮らしていたことを思うと、信じられない変化だ。
会いに行っても、もう私のことがわかっているのかいないのか怪しいくらいなのだから、人生とはわからないものだ。

 そんな母は、若い頃から体が弱かった。そのせいで、結婚も諦め、弟二人と上京して暮らしていた。和裁で収入を得ながら、しばらく新宿で暮らしていたそうだ。母の人生の中で、最も自由で楽しく、充実した時代だったのだろうと思う。
しかし、弟たちの結婚が決まると、縁談を持ち込まれた。半ば有無を言えない状況で、結婚することになったのだった。

 当時としては晩婚で、高齢出産で迎えたのが、私であった。
そう聞くと、さぞ溺愛され、甘やかされて育てられたのだろうと、思われるだろう。しかし、実際、私の記憶にある母は、厳しく、怖い人である。

 ひとりっ子だからといって甘やかしてはいけない。将来、ひとりで自立できなくては困る、という理由かららしいのだが、甘やかされた覚えは一切ない。
 幼い頃、竹の物差しで手をピシャリ、と叩かれたことがある。何をしたのかは、覚えていない。痛さより怖さで、もう二度と母を怒らせるのはやめようと思った。

 反面、近所の子に、保育園に行った子とは遊ばない、と言われて、泣いて帰った時には、その子の母親に抗議をしに行ったこともある。

 全く可愛がられていない、というわけではなかった。しかし、どこでどう拗れてしまったのか、いつからか折り合いが悪くなってしまったのだ。

 口を開けば、文句しか言わず、結婚した私をいつまでも子ども扱いする。何をやっても、否定しかしない。
従姉妹と比べては、責めるようなことしか言わない。
だんだん煙たくなって、足が遠のいていった。すると、電話をかけてきては、やはりお説教。
鬱陶しくてたまらなくなった。

 そうは言っても、たまには会いに行こうと、手土産を用意して行ったことがある。
その時、ちょっと奮発して、普段は食べないだろうケーキを買って行った。
どれがいいか、あれこれ悩んで買っていったケーキだった。喜んで食べる母を想像して、楽しみにしていた。
しかし、母は、ひとくち食べると、
「こう言うのは、あんまり好きじゃないんだよね」
と言うなり、私の目の前で、捨てたのだ。

 あまりのことに衝撃を受け、しばらく立ち直れなかった。
その後、何を話したのか、どう帰ったのかも覚えていない。

 ヘルパーさんが入ってからも、やれ、掃除が行き届かないとか、料理の味付けがだめだとか、文句しか言わない。
どんどん嫌いな年寄り像になって行く母に、嫌気が差して疎遠になっていった。
そんな母の様子がおかしいと連絡があったのが、去年の夏のことだった。 

 そこから必死に施設を探した。
役所の手続きをしたり、通院の付添をしたり、親孝行娘を演じてきたのだった。

 ウトウトと過ごす母は、会いに行くたび、
「お前が来るのを待ってたんだよ」
と言いながら、握った手を離さない。
そんな母を見て、本当はもっと早く、こんなふうに向き合いたかったな、と思うのだった。

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