家庭という箱庭。

子どもの頃、両親が不仲で、いつもいがみ合っていた。母からは延々と父に対する愚痴を聞かされ、父は父で、常に不機嫌で、たまに浴びるようにお酒を飲んできては大声で怒鳴り散らし、母とケンカする姿ばかりで、私の父に対するイメージは当然悪く、父が亡くなるまで私は父が大嫌いだった。
とは言え、自分の実の親を心底嫌うことも出来ず、父の悪口を言う母も好きになれず、両親に対して相当に屈折した想いを抱えて今に至っている。

自分が大人になって、社会に出て、家庭を持つようになって、あの頃の父がどんな想いでお酒に溺れていたのか、少し理解できるような気がした。けれど、幼い頃から植え付けられた父に対する悪いイメージの大半は、母から聞かされた愚痴によって作られたものであることにも気付いた。

「お前が2歳の頃、お父さん、お前と出かけてなかなか帰ってこなくてね。どこへ行ってたのかと思ったら、お前がエスカレーター気に入っちゃって、昇って降りてってずーっと繰り返してたんだって」

母から聞かされた父の話で、唯一私にとっての宝物になった話だ。無骨な父が幼い私の手をとって、ひたすらエスカレーターを昇り降りしている姿を想像したら、なんだか微笑ましい。
母がもし、そんな風に父の良い話ばかり聞かせてくれていたら、私は生前の父のことをもう少し好きになれたかも知れない。

幼い子どもにとって家庭環境は唯一無二の絶対社会であるとも言える。親の言う事はある意味正義で、親が用意した環境が世界の全てであったりもする。
親が子どものために出来ることには限りがあるけれど、物事に対して公平な視線で見られるよう育てることが何よりも大切で難しいのかも知れない。

いただいたサポートはありがたく書籍代に使わせていただきます。 決して悪用はいたしません。