チャンカライ

最近自分の親がいわゆる毒親だと気付いた。もう疲れた、もうやめたい、誰か助けてとここに辿…

チャンカライ

最近自分の親がいわゆる毒親だと気付いた。もう疲れた、もうやめたい、誰か助けてとここに辿り着いた。

最近の記事

クレプトマニア

わたしが中学生のころだろうか。なかなか母が買い物に行ったはずなのに帰ってこず、やっと声が聞こえたと思ったら父に対して 母「このことは子供達には言わないで」 父「当たり前だろ!」 と言いながら帰ってきたのを覚えている。当時はなにがあったのか分からなかった。 大学生のとき。母が買い物に出かけてなかなか帰ってこなかった。あまりに遅かった。すると母から電話がかかってきた。 「あのね。トラブルに巻き込まれちゃって、、」 次の瞬間 「○○警察です。お母さんね、万引きしていま

    • 痩せ姫

      現在、母の体重は20kg台らしい。家族に報告しているようだ。「痩せ姫」という記事を読んだが、この記事がなんだか今までで一番母のことを理解できた気がする。 「痩せることは自らをコントロールできているという自信と快感。心配されることが安心感をもたらす。」 根底には生きづらさがあるとのこと。ただ私からすると行きづらい環境を自ら作っているように感じる。この体型でも毎日2時間歩いているらしい。やたらピタッとしたスパッツみたいなボトムを好む。などなど ガリガリすぎて一緒に外出する気

      • 母の介護

        親の介護はいつかしなければいけないと思ってはいたが、こんなに早くくるとは思わなかった。介護にもいろいろ種類があるとは思う。私の思う介護が始まったのは私が16歳の冬からだ。 早十数年。介護歴はこの歳にして長い。 私の母は境界性人格障害、摂食障害だ。介護といっても食や日々のルーティーンが本人の中で確固たるものがあるため、日々生存確認をする。「あなたのこと考えてますよ〜」アピールができるメールを送ること。生きている価値が見出せるように仕事を与えること。 これを介護と言ったら気

        • かまってアピールがすごい

          ずっとうつ病だと思っていたお母さんが境界性人格障害と言われ、じゃあ治療は?と先生に聞いたら「人格を変えるのは難しい」と。そうなんだ。ずっとこれか。 境界性人格障害=かまってちゃん みたいな記事を読んだ。10-20代くらいの女性に多く、時が解決するみたいなところもあるようだ。 うーん。お母さんもうすぐ60歳。 リストカットも50代後半から、風呂場で何かのガス発生させて自殺未遂したのも50代後半。 もともとそういう人格だったけど子育てで忙しく、子供に欲されてる間は強い症状

        クレプトマニア

          妹、壊れる

          ずっと実家で母の相手をしていた妹がついに壊れ始めた。もともと本人も人間関係には敏感で傷つきやすいためか、お母さんをないがしろにできなかったのだろう。お母さんから鬱メールがきて、その鬱メールを私に転送してはスルーされる日々。限界だったのだろう。妹がついに実家を出ることになった。 「犬はどうするの?」 「あの人(旦那)といっしょに住むなんて無理。」 あぁまた死ぬ死ぬ言い始めた。うるさい。 あんまりにもうるさいから、もう仕方ない。わたしが念のためペット可のマンションに住んで

          鬱メール

          ある日、お母さんと妹で犬を飼うことを決めたようだ。かわいい子犬がうちにやってきた。その時はこの子犬がまさか犠牲者になるとは思ってもみなかった。 大学生になり、実家を離れた。しかしお母さんからは離れられなかった。 「死にたい。死んでやる」はしょっちゅう。 「犬の世話を誰も手伝ってくれない」 なんだか心配で時々家に帰ったりしていた。でも帰るとグースカグースカいびきかいてお母さんは眠っていた。きっと突発的にかっとなってメールを送っているんだろうなと思っていた。 しかし鬱メ

          精神科入退院生活

          それから数年は1年のうち、半年は精神科に入院しては退院してを繰り返していた。退院は全部お母さんの希望。まだ病院の先生から退院していいと言われなくても、お父さんに鬼電して、しびれを切らしたお父さんが迎えに行き退院させてしまうの繰り返し。 家に帰ってきたら面倒をみる(見張る)のはわたしたち子供なのに。 ここからは長い戦い。最初の頃は食べれば元気になるのになぜ食べない?理解できずに、お母さんに食べるように説得し続けた。食べないお母さんに怒ったり、ゼロカロリー飲料、寒天、こんにゃ

          精神科入退院生活

          16歳の冬

          16歳の冬。高2。お母さんが泣いているのを初めてみた。もう限界だったんだと思う。わたしは玄関でお母さんを抱きしめた。 ある日の夜、おばあちゃんとおじいちゃんが急に家に来た。 「体重が20kg台しかない。」 とお母さんからメールが届いたらしい。そのあとお母さんは入院することになった。 「ご家族は心配されていると思いますが、癌はなかったです。」 内科の先生がわたしに言った。でもわたしは 「???」 だった。お母さんは痩せてしまったんじゃない。自ら痩せることを選んだと

          お母さんが毒親だった

          わたしは貧しい家に生まれたと思っていた。兄弟も多かったし、好きなものも買ってもらえなかったし、服はお下がりばっかり、家は小さくてボロボロ。トイレは小なら流さずそのまま、大なら流す。 ただ教育費にはお金をかけてくれた。塾にも行って中高一貫の私立にも通わせてもらい無事大学も卒業できた。そこで出会った友達はかけがえのない友達だ。 恵まれている友達が多かったからか、自分が貧相に見えた。中高は制服だったから身なりはみんなといっしょ、ただ話していると生活レベルが違うことにすぐ気づいた

          お母さんが毒親だった