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敗戦の責任は誰にあるか ファイアーエムブレムシリーズ(1)

(この文章は、ネタバレをしないように書かれています。未プレイの方も安心してお読みください)

ファイアーエムブレム暗黒竜と光の剣(FC 1990年4月20日)
ファイアーエムブレム外伝(FC 1992年3月14日)
ファイアーエムブレム紋章の謎(SFC 1994年1月21日)
ファイアーエムブレムトラキア776(SFC 1999年8月28日)任天堂


「優れたシミュレーションゲーム」とは何か。

と、問われた場合、あなたは何と答えるだろうか。

多くの人は、題材(たとえば戦争とか)をうまく再現しているもの、と答えるのではないだろうか。
だが、それは、以前述べた通り、「優れたシミュレーション」でしかない。
遊んで楽しくなければ、「優れたゲーム」にはならない。

では、シミュレーションゲーム(SLG──ここでは戦略/戦術SLGに話を限らせてもらう)の楽しさとはなんだろう。
いろいろあるだろうが、なかでも「知恵をしぼって適切な判断を行えば良い結果が出る」という要素は欠かせないのではないか。
SLGといえば、頭を使うゲームというイメージを持っている人は多いだろう。

現実世界のあらゆる現象を再現し、かつたとえば部下に対する細かな命令などをうまくインターフェイス化するということはなかなか難しい。というより、多くの場合は無理である。
そのため、SLGには簡略化したルールが求められる。


ファイアーエムブレムシリーズは、間違いなく優れたシミュレーションゲームである。
その中身はシミュレーションと呼ぶにはほど遠いが、それがシミュレーションゲームの魅力を有していることは確かだ。
システムの基本はシミュレーションだ。生産こそないが、そのシステムは大戦略、ファミコンウォーズ等とほとんど違いはない。
ただ、微妙に異なることがある。ファイアーエムブレムのシステムは、どちらかというと大戦略的なものというよりは、将棋やチェスを複雑にしたもの、という方が近いのだ。
通常の大戦略型ゲームを考えてみよう。味方の戦車部隊が、敵の装甲車部隊に攻撃をしかけたとする。すると、敵の1ユニット10台のうち、5台の装甲車を破壊できた。ここでロードして、同じことをもう一度繰り返すと、6台破壊できた。もう一度やると、3台しか破壊できなかった。このような現象はよく起こる。
これは、戦闘結果を乱数(サイコロのようなもの)を用いて処理しているからである。
ドラゴンクエストやファイナルファンタジーの戦闘でも、敵を攻撃したときダメージ量が毎回微妙に違う。同じことだ。
それは、基本ダメージ量があり、さらに乱数によってその量を増減させているからだ。

ところが、ファイアーエムブレムでは基本的にダメージ量は一定である。
攻撃力10のキャラクターが防御力6の敵を攻撃して命中した場合、10マイナス6で、必ず4ポイントのダメージとなる(次回に述べる例外は除く)。5ポイントや3ポイントになることはない。
だから、攻撃を仕掛ける前から戦闘結果がほぼ正確に予測できる。
敵の反撃によってHP0になるか、HP1で生き延びることができるかもわかってしまう。
ファイアーエムブレムのユニットは兵士である。兵士は機械ではない。だから正確な動作はありえない。そういう意味で、シミュレーションとしてはおかしいのかもしれない。しかし、ゲームとしてみた場合、この要素ははかなり重要な意味を持つ。

これは、将棋やチェスに近い。将棋やチェスというゲームに「運」という要素は直接的には作用しない。双六のようにたまたまいい目が出れば勝てる、といった不確定な要素はないという意味である。
また、将棋やチェスには、相手にもよるが「こうすれば負ける」という方法が存在する。その要素をひとつでも多く想定し、そうならない(なりにくい)方法を採る必要がある。幸運の女神は助けてくれない。己の判断力がすべてだ。

ただ、ファイアーエムブレムが将棋やチェスと大きく異なるところももちろんある。
将棋やチェスは、相手も人間であり、先手後手という違い以外お互いはまったく対等の条件にある。だから、必ず勝てる方法などは存在しない。
逆にいうと、必勝法があれば、それはもはや対戦ゲームとしての存在意義がなくなる。グーとチョキしかないジャンケンのようなものだ。誰でもグーを出すに決まっている。
しかしファイアーエムブレムは人対人の対戦ゲームではない。一般に、コンピュータに負けることが楽しいプレイヤーはいない。だから、適度にプレイヤーが勝てるような難易度である必要がある。
簡単に勝ててしまっては知恵をしぼる楽しみがなくなるし、難しすぎれば理不尽といわれるため、バランス調整が命となり、それには職人芸を必要とする。


ところで、難しいとよくいわれるファイアーエムブレムを全面クリアすることはさほど難しいことではない。
経験値稼ぎをしてほとんど全員を強くすることもできるし、ワープという魔法を使って1ターン目で一気に敵のボスを倒してクリア、などという方法が使えることも多い。
では、何がそれを難しくさせているか。どこに知恵をしぼる必要があるのか。
それは、できるだけ味方を死なせないでクリアしようとする、というプレイスタイルにほかならない。
元来そうする必然は、味方が死ぬとそれだけ戦力が減ってしまって、後々苦しくなる、というものだったはずなのだが、だんだんと、完全クリアを求めたり、人格を持ったキャラクターが死んでしまうことが心情的に堪え難いという気持ちが理由になっていったようだ。ともかく、たいていのプレイヤーは味方を死なせないようにプレイしようとする。

ファイアーエムブレムでは、基本的に一度死なせてしまった味方は生き返らない
毎ターンセーブもできないので、リセットしてその面の最初からやり直すか、諦めるかどちらかだ。
判断ミスが、味方の死を招く。一瞬気を抜いただけで、数時間の成果が水泡に帰す。
前述のように、ほとんどの場合その死はプレイヤーにとって予測可能なものだったのだ。
にもかかわらず、死なせてしまった場合、それはプレイヤーの責任である。サイコロ(≒ゲームシステム)のせいにはできない。
だから、味方を死なせてしまったということは、知恵のしぼり方が足りなかったということだ。
この敗北感。コンピュータはちゃんと「このままではこの兵士は死にますよ」という情報を、バラバラにではあるが、プレイヤーに与えてくれていたのだ。だが、それに気づかず、ミスをしてしまった。責任転嫁はできない。誰のせいでもない。プレイヤーのせいだ。

この味方の死というのは、ある意味、プレイヤーに対するコンピュータからの非難、罵倒である。
そして、それはしごく正当なものだ。コンピュータ(対戦相手)がコンピュータ(審判)であることをいいことにズルをしたわけではないし、運が悪かったわけでもない。プレイヤーはコンピュータのフェアプレーによって必然的に敗北したのだ。
プレイヤーは自らの過ちを認めざるをえない。コンピュータに八つ当たりすることもできるが、それはただむなしくなるだけだ。
気を取り直して、同じ失敗を繰り返さないようにしなければならない。

失敗する要素は、たくさん仕掛けられている。いわば、無数に仕掛けられた罠。だがその罠はしっかり目を見開いてさえいれば発見できることがほとんどだ。
プレイヤーは、それを見極め回避しなければならない。そして回避するだけでなく、できるだけ最善の手段を模索する必要がある。
それが、ファイアーエムブレムが将棋的といわれる理由であり、シミュレーション「ゲーム」にほかならない点であるのだ。

コンピュータは無慈悲だ。ファイアーエムブレムに「待った」はない。このゲームでは章ごとにしかセーブできないため、失敗したからといってロードしてそのターンの最初からやり直すなどという手軽なプレイはできない。常に慎重さと正確さが要求される。コンピュータはフェアプレイを行っている。プレイヤーだけが反則をするわけにはいかないのだ。
それゆえに、そこに失敗の重みが発生する。

それが、ファイアーエムブレムがすぐれたシミュレーションゲームたる所以なのである。



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とはいえ、ファイアーエムブレムにもやはり乱数が存在する。攻撃が命中するかどうかはあらかじめ確かなことはわからないし、いわゆるクリティカルヒットである必殺の一撃という存在がある。ただそれは上記の件を必ずしも否定するものではない。その点に関しては次回に述べる。

なお、シリーズ異色作である「聖戦の系譜」(SFC)は、上の内容に合致しない要素がとても多いため、文中ではシリーズ作品として含まない。

(1999/10/28 綾茂勝太郎)

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