見出し画像

猿楽町で会いましょう。観てきたよ。 前編。

前置きですが
私は映画のレビューを書いた事もなければ
映画の専門的知識に富んでいる訳でもない
ただ、この映画を観ただけの人です。
なので、これは感想文程度の物だと思って読んで頂けると幸いです。

この映画の予告編を見た時から、放映を待ちに待っていました。


コロナの影響で放映が先に延びてしまい、本当に放映される日がくるのだろうかと思っていました。

新しい予告編が次々に公式ホームページで公開されていく中でユカは、なんだか軽率に嘘を重ねるだけの人で
それによって周りが巻き込まれていくようなストーリーなのかなと
まあ、なんというか私の発想の浅さが分かる予想をしていました。笑

映画を観た後に一番最初におもったのは
もう一度、観たい。
ただ再び観ることは怖い。
と思いました。

ただ不思議と猿楽町で会いましょうを観てから、日常的にユカや小山田の事を考えるようになりました。


この映画の色々なレビューやインタビューでは、ユカは社会的弱者で搾取される側の人間だと語られています。なぜなのか。


ユカは幼くて稚拙で、社会的な常識という物を知らない。

アルバイト先では、ある程度は時間の融通を効かせてもいいと最初に言われたら
平気な顔をして自分で代わりに出勤する人も探さずに、突然バイトを休んでしまう。
ユカの代わりに出勤したバイト先の同僚に、お礼も何も言わない。

ユカが"ごめんなさい"や"すみません"
と素直に謝るシーンがあったのか思い返すと
彼女は謝罪より先に言い訳をするし、はぐらかしたりする事ばかりだ。

こうした事を重ねていく内に、信用を失って
"嘘つき"と呼ばれるようになってしまう。

ユカが持っていない、社会的な"常識"と呼ばれる物を持つ人は、狡賢さも同時に身につけている。
だから"嘘"をついてもある程度ならば許される。
そして嘘があるからこそ成立する世界すらある。


ユカは人の言葉を素直に、そのまま受け取ってしまう。
誰かから教えて貰った事が次々と、ユカの中にインプットされていく度に
それが彼女のアイデンティティの一部になってしまう。
そして同調圧力に屈している事に自分で気づく事もない。


ここからは2人目の主人公、小山田も含めて話を進めていきたいと思います。

ユカの自分の色がわからない。という言葉はとてもリアルだと思った。

その後、私が小山田に一番、嫌悪感を抱いた台詞が
俺なら本当のユカちゃんを撮れると思う。
ユカへの好意とか、若さからくる自信とか、自己主張とか色々な物が綯交ぜになって出てきた言葉なのは明白だ。

これに類似する台詞を何かで聞くたびに
「いや、別に知って欲しい本当の自分とかないし!」
とか私は思ってしまう。
勿論、共感できる事だとか言葉では表せない何かがある時もある。

でも、とりあえずは目の前にいるユカが本当のユカではダメなのか。
既に、小山田の中で創り上げられているユカ像があるのではないか。

とりあえず、話が完全に脱線する前に捻くれた私の意見はスルーしておく。

小山田に対するユカの返事は
「お願いします。」
だった。

ここからは、もう2人の楽しい世界満点!
のようなシーンが繰り広げられる。
この中には嘘も偽りも何も存在しない!
としか思えないような。
まあ、既に存在してるんですけど。

小山田のユカに対する好意も、どんどん加速していく。ユカと自分だけの世界に浸りきっていく。

好意がある事自体は凄く良い事だ。
何か強い気持ちや思い入れを込めて創られた作品は、人の目を惹く心を揺さぶる作品になる。

作中では小山田の撮影したユカの写真が、その証だ。
まだハッキリとは見えないけれどユカの色が少し浮かび始めたような、そんな写真だった。

小山田の撮った写真がチェックされている時に
「お、これはいいじゃん。」
と唯一、評価されたのもユカの写真であった。


その言葉をキッカケに、小山田は写真をコンテストに応募した。
けど。
「ん??ユカに応募するって言ったっけ??見逃しただけ?」
と私はパニックになった。

言ってないよね…?

もし言ってたよ!っていう人がいたら教えて下さい笑



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?