1年間とは

本日、4月20日は帝国の顔合わせからちょうど1年の日、先日は振りコピの民と出会って1年、まずの話、大学に入学してから1年が経っていたということで、この記事は1年ってなんなんだろうって考えたことをnoteにだらだら書いていくっていう記事です。

高校までの1年間

まず、高校生までのことを考えてみた。自分はチャリで15分の距離の高校に通っていた。完全に地元の高校である。中学もチャリで3分の距離、小学校も徒歩で5分の距離と、基本的に近場で生活してきたと言っても過言はない。
そして高校までの1日の過ごし方はほとんどルーティンに近いものがあるだろう。毎日6~7コマの授業があって、それが終わった後は部活とか生徒会とかの課外活動をやって、家に帰ってご飯を食べたり勉強したりして寝る。ぶっちゃけて言ってしまえば、似たような日々を過ごしていたってことなんだと思う。受験生の時は尚更そうで、毎日授業の後は勉強して、ひたすらそれを繰り返していたという人が多いんじゃないかと思う。そうして変わりばえのない毎日を淡々と過ごし、気がついたら大学生になっていたっていうわけだ。

大学生活での1年間

ここで去年からの1年間、大学生として生活をして思ったことを書きたい。
「今までとは全く違う生活を送ってたら時間の流れが速いのか遅いのか全くわからなくなる」
自分みたいな地元にしかいない生活を送っていた身としては、全く新しい土地・環境で生活を始め、大学は高校までと違い、コマの間に空きがあったりより専門的な内容を学んだり、筑波に関していえばキャンパスの大きさが桁違いすぎる。そして一人暮らしを始め、毎日の生活に自由度が増し、友人との交流も今までより盛んになり、関係が深まるスピードも今までと比べたら圧倒的に速い。そんな生活をしていたら時間の感覚がどっかに行ってしまったような感じがする。

時間の流れが速いということ

これはそのまんまの意味である、あっという間に1年が過ぎ去って2年生になり、気がついたらいろんな役職を持っていて、後輩もいっぱい入ってきて、ついこの前先輩に新歓してもらったのにいつの間にか自分が後輩を新歓している側になっていた。毎年歳をとるから当たり前のことなんだろうけど、体感時間的には確実に過去最速の1年間だったと思う。

時間の流れが遅いということ

これは完全に自分の主観であるが、上に書いた「友人との交流も今までより盛んになり、関係が深まるスピードも今までと比べたら圧倒的に速い。」って部分が大きく関わってくる。関係が深まるのが早すぎて、もう出会ってから1年ぐらい経ってるんじゃないかと錯覚してしまってのだ。初めてこう感じたのは去年の春Cの始まりごろ、だいたい入学してから3ヶ月が経った頃だったと思う。
その後もたまに同じような錯覚に陥ることがあって、その度に時間感覚がよくわからなくなっていた。

最後に:1年間の大切さ

とまあここまで自分の主観で色々と書いてきたわけだが、これらを通して一番思ったのは、「1年間の密度は自分の行動が左右する」ということ。この前再掲した記事のツイートにも書いたけど、自分が大学生活を送ってきた1年間で最も大きな影響を与えたのがやどかり祭のゆかコンだ。度々考えるのは、もし仮に去年、ゆかコンに出ていなかったら今頃どんな生活をしていたんだろうっていうこと。少なくとも、帝国民との交流がなかったから現在の交友関係とは全く違うものになっているんだろう。
そして帝国民との交流が自分の中での1年間の密度を一気に高くしたんだろうなって思う。社工志望だった自分がセンター前にたまたま知識に志望変更して、そのまま第一志望の知識に入って、そして割とその場のノリでゆかコンに出て。あの時の選択は全く間違ってなかったんだなって強く思う。
もしこの記事を読んでる人の中に19生がいたら、ぜひこれからの1年間を充実した、ここにきてよかったと思えるような生活を送って欲しいと思う。

ここまで、唐突な思いつきの記事をご覧いただきありがとうございました。


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