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活字が頭に入らない

推してるグループのメンバーがとある作品の映画化主演を務めるというので、原作の小説を読み始めたのだが、びっくりするほど活字が頭に入ってこない。世界観に入り込めない。小説ってもっと没頭できるものじゃなかったっけ?

Twitterから飛んだしょうもない恋とか愛とかセックスとか言ってるコラムはどれだけ疲れていてもちゃんと読み進められるのに、どうしたことでしょう。久しぶりに英語を読んだら全然進まない感覚にも似ているな、と思いながら本の返却期限が迫っているにもかかわらずnoteを書いています。

全然読みたいと思えないのは、好みの題材だと思って選んだはずなのに、サブカル大学生の愛とかセックスとか特別感とか何も持ち合わせていないとかいう話にはもう共感できないと少し冷めた気持ちで読み進めているからなのか、言い回しのくどさにお腹いっぱいになってしまうからか、締め切りが迫れば迫るほどに進めたい気持ちになれなくなったり他のことを始めたくなる病の一種なのか。いや、目覚めきれない行きの電車の中で読むか、残業で疲れ切った帰りの電車の中で読むかの二択しかないせいだ。私の集中力が衰えているせいではない、きっと。そうであってくれ。

終わっていないタスクを抱えているのも気が重いので、さっさと読み終えてしまおう。あと150ページ。3分の2より少ないくらいかな。

最近は年度末ということでさすがの私もオーバーワーク、季節労働者なんじゃないかと毎年思うくらいにはこの時期だけスポットで忙しい。社会保険料の算定に響くので、どうせ忙しいなら別の時期にしてほしいんですが。

こういう日々を送っているといつのまにか身体からアドレナリンが出て、なんだか気がついたらこの時期を乗り越えていた!みたいなのが定番の流れですが、去年あたりからいまいちアドレナリンの出が悪く、週の真ん中くらいでようやくエンジンがかかり、土曜の夜くらいにエネルギーが切れて、日曜は寝て過ごすような、今年はそんな感じで生きています。

例年より早い時点で身体が悲鳴を上げており、ストレスが原因だとはわかっているんですが、その症状を抱えることが何よりのストレスになるというストレス無限ループ。

こうして仕事ばかりして、仕事と家の往復の日々、なんなら私が住んでいる場所は自宅じゃなくて会社の方なのでは?と思ってしまうほどですが、少しだけうれしいこともあったな、職場でちょっとした取りまとめをしたら、みんなが優しくて、反応の言葉が丁寧だったり(各々の言葉の使い方に個性が出ていてとても良かった、良い表現は私も真似したい)、私がやらなきゃいけないことをあれこれ気にして声をかけてくれて手配してくれたり、負担を心配していただいたりした。

お祝いをいただいてお返しをしたときみたいな気持ちになるね。手配が面倒だし、いただいてお返しをしてしまうと結局元も子もあんまりないんじゃないかと思いながらも、その過程でかけられた言葉や語られたエピソードにちょっとだけ心が暖かくなるやつです。

こんなことを考えていて、昨日の夜にnoteに書き殴るつもりだったんですが、先に書いたとおりのオーバーワークで疲れ果ててさっさと寝てしまいました。せめてもの抵抗に、書きたかったことをTwitterの下書きにまとめていた昨日の私を自分で褒めてあげたい。余程書きたかったんだな。

ちなみに記事に使った写真には何の意味もありません。数年前にインスタントカメラを使う企画をしたときに撮ったものです。もうすぐこの街にも本格的に春が来るね。

さて今年度最後の一日、気持ち引き締めて今日もがんばりましょう。またね。

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