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はじめまして

ayooといいます、よろしくお願いします。

最初の記事は私がどんな学生時代を過ごしてきたとか、

半生?みたいなものを書いていけたらと思います。


小学校入学当初は人見知り全開でした。

初めて隣の席になった男の子を見た瞬間泣き出して先生に助けを求める

みたいなことをしていました。


その後低学年時は当時預けられていた学童の先生に、

近所の駄菓子屋でつながれている犬は私の犬で、

雪国のばあちゃんの家では雪かきも手伝うんだみたいなことを言い、

あとで嘘だとバレた時に、先生がハサミを持って、舌を切る振りをされて

ギャン泣きした覚えがあります。


割といじられキャラというかバカにされやすい体質だったような気もします。

とにかく覚えていたのは、みんなが帰り道一斉にダッシュする時に、

なぜかみんなに追いつけなくて置いてかれていたのを覚えています。

なんでみんなあんなに早かったのかはいまだに謎。

高学年時はリレーの選手で中学は陸上部なのに謎


高学年になるとおしゃれに興味のある子から、とある女子小学生向け雑誌のオーデ

ィションに一緒に出ないかと誘われ、小学校6年生の3人でモデルを目指すという

ことになった。朝は学校が始まる前の時間に集まって、近所の周りでウォーキング

をしたりしていた。今思えば小学生のくせに意識高かったなと思った。


中学は割と自由にできていたと思う。

中2の時のクラスは最高で毎夜毎朝学校が楽しみだった気がする。

合唱コンクールで優勝したのもその時だったなぁ。


高校は未だに関係が続いている友達にも会うことができて

恵まれてるなぁと思います。

本当はどこの高校も受からないって中学の先生たちに言われてたし、

中学で義務教育終了させとけばよかったなと思う時がたまにあるのですが、

高校でいろんな人に迷惑かけまくったというのは置いといて、

いい友達にたくさん会えたことには入ってよかったなと思えます。

高校はチア部に入部していましたが、なかなか体が柔らかくもならないし、

ダンスが上手くならないしで、行き詰まっていて、

2年生のときに辞めてしまいました。

自分がチームの和を乱してたなとか思う時もあるけど、

廊下ですれ違ったりするとみんなで集まって写真撮ったりした時は、

みんな最高だな、となりました。

チアのことまた他の記事でかけたらいいなと思いました。


部活を辞めてから虚しくなる時とかあって、

いきなり受験勉強に目覚め始めるという。

(自分の中では)めちゃくちゃ勉強しまくって、

行きたい大学に受かったまではよかったのですが、

母に大学入学を反対され、母の勧めた短大に通うことに。

そこでの環境はあまり自分に適していたとは言えませんでした。

なんとなく壁を感じてしまい、私イキってました。

色々母への恨みもあってか、イキリ倒していたと思います。

台湾への短期留学もしたりして、カラオケ大会で優勝したり、

歌への気持ちが強くなった留学だったなと思いました。

台湾でクラスの日本人の子やスタッフからは、meimeiと呼ばれ

ちやほやされていました。私の名前の最後の文字が美なのでこれを重ねて

台湾語でmeimeiと呼ぼれていました。

2年生になると、なぜかレベルの高いゼミに入りたがり、授業についていけず沈没

するという情けない状況でした。

文化祭実行委員会にまで手を出し、後夜祭のリーダーをやることに。

深い世界につながったような体験をしました。笑

もうやらないだろうなと思います。


ただただ辛い短大時代とその後も4年生大学の夢を諦めきれず、

編入学をすることに。枠の狭い中で勉強や面接頑張ったなと

自分を褒めてあげたいですが、

大学生活さらに一浪して編入をした人間の地獄を味わいました。

まず周りに同じ年の子がいない。単位が多い。

さらに部活にも入ってしまい、

やさぐれました。

休みまくり、Youtubeにはまり、

どんどん転がっていく感じでしたね。

悔いを残して中退することを決意。

母は反対したんですが、もう無理、という感じでしたね。

大学を辞めて頑張ることがなくなり、

完全に引きこもりに。

そして病院で統合失調症という診断を受け、

病気と付き合っていく人生のスタート。


引きニートをしながら、

何か家の中でもできることはないかなと

考えて見つけたのがnoteです。

有料記事を書いたりして、稼ぐことも目標です。

最後の方は重くなってしまいましたが、

読んでくださった方ありがとうございました。

この先はもっと明るい未来が待っていることを

希望にして、頑張って記事考えていこうと思います。

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