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ニンジンスティックをあたえたい
5年ほど前、大阪で働いていたころは好きな道を選んで通勤していた。中之島の、中央公会堂前を通るルート。中央公会堂のビジュが良いというミーハーな理由が主だが、クリスマスシーズンは街路樹がイルミネーションされるのもかわいくて好きだった。しかし残業後の深夜帯は消灯されており、せっかくイルミネーションされているのに真っ暗な道を通るというのが、これまた得も言われぬ気分になり、たいへん心地よかった。当時はカップ麺しか食べないようなひもじい生活を送っていたが、平安貴族みたいな価値観で生きていた。かわいい~~。
しかし平安貴族らしく京都に職場を移した今は、嫌いな道を避けて通勤するようになっている。嫌いな道は烏丸通の全般で、嫌いな理由は外国人観光客たちが多くてなんとなく歩きにくいから。あと信号が多い。
好きなものを見つけられないのに、嫌いなものを見つけて避ける生き方は、ひどく情けないように思う。大阪に住んでいたころはとても貧しかったが、感受性は研ぎ澄まされていた気がする。最低限文化的な暮らしに喜びを見出す生き方は尊い。消えたイルミネーションを見て、もののあはれを感じる。われながらあっぱれな生き方。表彰してあげたい。おめでとうございます。
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自分の生き方が俗な方へ俗な方へと寄っていることに対しては、けっこうな危機感を覚える。自分はミーハーで俗っぽく、趣味の浅瀬でちゃぷちゃぷする人間なので、意識して対策を講じなければ、すぐにこうなってしまう。何のつかみどころもない人間に成れ果てる。こう、つるっとした、ボールみたいなかたちの人間になってしまう。最近、ガラスのボウルを洗っているときに洗剤で手を滑らせて割ってしまったのだが(とても驚いた)、そんな感じでいつか落っことして割れてしまう人間になりそう。こわい。落とさないよう注意をしたい。なので今日の記事にオチはありません。おあとがよろしいようで。
過去の記事を漁ってみると、定期的に俗っぽくなっている自分に危機感を覚えているようだった。いつもしんどそうでかわいい。飼ってあげたい。カゴの外からニンジンスティックをあたえたい。ぽりぽりとかじらせたい。
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