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息子に救われた言葉

2人目の娘が産まれてから、カメラロールは2人目ばかりになりました。

決して意図的ではないのですが、上の息子は落ち着いていて我が強いタイプでなく、スマホを向けると一発で写真を撮らせてくれる一方、下の娘は「わたしを見て〜!(むしろ見ろ)」と動き回り、ころころ表情を変えるタイプ。

息子と話しているのに割り込んできた娘に話題をかっさわれることも多々。

息子「今日小学校で折り紙してたらね、」
娘「わたしもした!うさぎさんつくって先生に見せたらね、〇〇ちゃんがね、、、」

といった具合。職場にいたら1番やなやつです。

息子は優しいので遮らずに聞いてあげて、「それで息子はどうしたの?」と話を戻しても少し寂しそうに「話そうとしたこと忘れちゃった」と。

もうすぐ8才になる息子、3才のときに娘が産まれてからそんな生活を5年、してきました。

そんな中でもヒネることなく(母の財布から金とる事件はありましたが)、学童で必ず妹にひとつお菓子を残して持って帰ってきてくれる優しい子です。

普段から、騒がしくしていた娘が一時的にいなくなり、息子と2人になったとき、いつもどうしようもない罪悪感に苛まれるのでした。

私は長女でしっかり者、弟は身体に不自由があり、いつも母は弟のことばかり。しっかり者にならざるを得なかった、ヒネた私は、息子には絶対にそんな思いをさせたくない、と思っていたはずなのに。

気がつくと息子の優しさに甘えていたと思います。

今日も娘がバタバタと「一緒に寝る人形持ってくるの忘れた〜!」と寝室から出て行ったとき、罪悪感から息子に声をかけました。

「今日は娘に席譲ってくれてありがとう、すごく助かったよ」
「いつも宿題がんばっていてえらいね、明日のテスト100点取れるといいね」
「お母さん一人だったから、息子がいてくれて助かっちゃった」
「娘はお母さんにベタベタしてくるからギューしたりするけど、お母さんは息子のこともいつもギューしたいよ、大事に思っているよ」

振り返るとこういう言葉が息子をしっかり者で優しくならざるを得ないように追い詰めている気もします。。

でも息子は、

「こっちこそありがとう」

と、言ったんです。はて?なにが?と聞くと、

「ぼくのいいところいっぱい見つけてくれてありがとう」

と、言ってくれたんです。

映画や小説の綺麗なお話の中のセリフではなく。

私は親としては本当に未熟で、子どもに何をしてあげていられるんだろうと毎日反省する日々なのに、それでも。

きっと、罪悪感を感じることも、反省することも、ときには「私なんかの元に産まれてかわいそう、申し訳ない」と思うことも、ぜんぶ息子が大切だからこそ思うことで。

その根底の気持ちみたいなものは、息子に伝わってくれているんだなと思った瞬間でした。

これからもきっといい母親にはなれないけれど、なれないながらも悩みながら息子と一緒にいたいな、と思い、思わず涙ぐんだ夜でした。(息子は私が言葉を失っているうちに30秒後には寝息を立てていました)

いつもありがとう息子。これからもよろしくね。

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