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〜中尾翔太くんのオタクをしていてよかったこと〜

こんにちは!
まずこのお話をしてからいろいろお話していきたいので、よければお付き合いください!

中尾翔太くんについて


まずはきっと翔太くんについて知らない方もいらっしゃると思うので、
彼のことについて説明させて頂こうと思います。

1996年4月23日生まれ、FANTASTICSのパフォーマーです。
3歳からダンスをしていて、EXPG名古屋校の特待生でした。
メンバーの堀夏喜とは同郷で堀さんは翔太くんに憧れて同じダンスの道に進みました。
彼は2017年末にあったライブを立て続けに体調不良のため休んでしまいます。
その後2018年3月に胃がんが見つかったこと、それに伴い活動を休止し治療に専念することを公表しました。
2018年7月6日午前7時23分、公表してからわずか4ヶ月で胃がんのため、22歳で亡くなりました。
LDHは2日後の7月8日に亡くなったことを発表しています。
亡くなった次の日FANTASTICSはイベント出演、亡くなった当日はEXILEの3年半ぶりのMステ出演の日でした。


FANTASTICSデビューと闘病中のこと

デビューしたのはそれから5ヶ月後のことでした。
これは後に初の単独ツアーで分かることですが、亡くなる直前デビューのことは彼に伝えられていたみたいです。
堀さんが『後もう少しだけ、生きていてくれたら』と言っていたことがありました。
翔太くんにデビューの旨を伝えられていたことは良かったことだったのかなと思います。
病気になってからの彼は、弱音など一切吐かずむしろファンのこともメンバーのことも勇気付けていたように感じます。
ブログを読むといつも口癖のように『頑張ります』『勝ちます』『必ず戻ります』と言っていて、今思うと自分を奮い立たせるための言葉だったのかなと思います。
これは亡くなった後に知ったことですが、彼の身体に病気が見つかったとき、既に末期だったと聞きました。
本当のところは分からないですが、メディアに映る姿を見るたびに、ブログにあがる写真を見るたびに、どんどん痩せていって当時ものすごい不安に襲われたのを鮮明に覚えています。
最後は人の手を借りないと歩くことすらできなかったと後にATUSHIさんがブログで言っていましたが、そんな状態でも、彼はメンバーを励まし、ファンを励まし、強い決意をブログに綴り、強い人であり続けようとする姿を最期まで見せてくれていました。


亡くなってからのこと

翔太くんはとても人懐っこくて人が大好きで自分よりも誰かのために動けるとてもメンバー想いの子でした。
亡くなったという知らせがきたとき、ダンサー仲間や地元の同級生、幼なじみなど、たくさんの人がSNSで彼の悲報に悲しんでいました。
私自身も『なぜ翔太くんじゃないといけなかったんだろう』と考えたことがあったし、それから一年半、私は毎日泣き続けました。
もういないという現実を受け入れられず、そのことに向き合うことがあまりにしんどかったです。


一周忌

一年後、《BATTLE OF TOKYO》というJr.EXILEで行うイベントが4日間あり、彼の一周忌に被っていました。
FANTAは全員天井を見上げ、翔太くんの付けていたネックレスをする堀さん、
Jr.EXILE全員お揃いで作った《翔》の文字が入ったバンダナとTシャツ、
泣き出すJr.EXILEのメンバー、ライブ中その光景を見たとき耐えきれずに人目を気にせず号泣したのを今でもしっかり覚えています。
それは、ようやく一年経ってもういないということを突きつけられたように感じてしまったからです。
どこかでまだいると思ってしまっていたからこそ、その現実はとてもしんどかったです。


初の単独ツアー

一年半も泣き続けましたがこの初の単独ツアーのおかげで変わることができました。
大阪2カ所、名古屋、東京、神奈川と5カ所7公演行きました。
翔太くんのファンにとってはとてもきつい内容のものだったのですが、
3公演分が終わったとき、ホテルで一人考えていました。
一番最初に見たときは翔太くんのことを一つの出来事としてネタにされているように感じてしまっていたのです。
ですが見れば見るほどこれが円盤化されたとき、
中尾翔太というメンバーがいたこと、そしてこれからもメンバーの一人だということ、彼の存在がこの円盤を通してこれからFANTASTICSを知る人たちにとって名刺代わりになるんじゃないのかなと思うことができて、
ツアーが始まった時は『翔太くんがいないと生きていけないよ』という感じだった堀さんが、『翔太くんがいなくてもしっかり生きていこうよ』という心境の変化が見えたとき、
そこでようやく中尾翔太がもういないという現実にしっかり向き合っていこうと感じることができました。


今年で丸4年経ちました

私は現在、FANTASTICSのライブには付き添いという形でしか行っていません。
中尾翔太がいないFANTASTICSを応援し続けるにはやっぱり限界がありましたが、
彼は文字通り命をかけて沢山の大切なことを教えてくれて、私はとても感謝しています。
当たり前のことが当たり前に過ごせている今はすごく贅沢な時間だと思っています。
FANTASTICSは乗り越えなくてはいけないことが沢山あったしそれを乗り越えるのは決して簡単ではなかったと思いますが、だからこそFANTASTICSのみんなにはこれから先一番幸せだと思えるくらい、幸せになってほしいと思っています。

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