5ヶ月

あっという間に生後5ヶ月。

大きく変わると書いて大変。
我が家の小さな人にとって大変化の時期で、より多くの支えが必要だったようで、先月に比べてとても甘えん坊になった月だった。

4ヶ月を迎える手前の初めての寝返りから約2週間後。仰向けに床に下ろされると、昼夜問わず体が勝手にうつ伏せになってしまう、という現象が起きて、小さな人と二人でへろへろに。さらに2週間がすぎた今では自分の意思で寝返りができるようになったようで、体を丸めて上手にうつ伏せになってニコニコしている。うつ伏せで足をパタパタしている後ろ姿も、目が合ったときににこーっと笑う表情も、本当に可愛い。
しばらくはうつ伏せのまま体をゆらゆらしたり、片手片足を持ち上げてみたり、両手を離してみたり、重心をずらす練習をしている様子だったけれど、ようやく寝返り返りも上手になった。でもまだ苦手なようで、ごつんと頭をぶつけたり、うぅーっと声を上げながらひっくり返っていたりする。その不器用さもまた可愛いし、「あらーできたの」と声をかけると誇らしげな様子もとても可愛い。
視力も上がったようで、少し離れた位置からでも声をかけ目が合うとニコニコ笑うようになり、相変わらず両親そろって射抜かれている。

真上か左右しか見ることができなかったところから、世界が反転し、視野が広がり、喜びも大きいのだろうけれど、大きな変化はストレスにもなるのだろうなあと思う。

そんな大変な中、私の帰省に付き合ってもらった。空港デビュー、飛行機デビュー、大型ショッピングモールデビュー、実家連泊デビュー。
祖父母や曽祖母、たくさんの赤ちゃんや私の友人に会い、環境も大きく変わり、とても疲れたことでしょう。帰省中は夜うまく眠れなくない日が増えて、午前中ずーっと寝ている日もあって、申し訳ない気持ち。(でも帰省は楽しかった)

まだ長期記憶が発達していないこの人は、帰宅後10日ぶりに父親に会って大パニック。今まで見たことのない泣き方で30分ほど大号泣。知らない人ではない、でも何が何だかわからない、そんな様子だったけれど、記憶がカチッとはまったのか、改めて親しい人だと理解したのか、その後はいつも通り父親を見るだけでにっこにこ。

身体もうまくコントロールできない、記憶もはっきりしない、日々親の気まぐれであちこち連れ回される、かと思いきや体調崩した母親に付き合って3日連続家の中。もしも自分がそんな状況に置かれたらうんとしんどいだろうけれど、でもこの人はちょっとしたことでにっこにこ楽しそうに笑い、よく飲みよく出し元気いっぱい毎日を過ごしていて、すごいなあ、と思う。

他にも、親が食べ物を食べている様子をじーっと見るようになったり、濁音の練習をしているのか、「うんぶー」と言いながら唇をふるわせたり、お米の形をした歯固めを上手に回転させて口に入れて噛むことができるようになったり、木琴の音でケラケラ声を出して笑ったり、ピアノの音に合わせて嬉しそうに声を出したり。仰向けのときに、顔の前にお気に入りのおもちゃを差し出すと、両手をいっぱいに広げてから、えいっ!と掴もうとする仕草が私のお気に入り。掴む直前に、私がひょいと上に上げて空振りさせると、次こそはとタイミングを測ってくるから笑ってしまう。本当に可愛い。

あー可愛いなあ可愛いなあと毎日飽きずに言うものだから、実家で父に「その"可愛い"をもう少し言語化してみたら」なんて言われて試みたけれど、頭を使うより先に"可愛い…!!!"という気持ちでいっぱいになるから難しいね。

生まれてから毎日毎日、日に10回は可愛いと口にしてしまう日々だけれど、あまりに変化が早くて、もう同じ位置で寝っ転がって動くことのできない姿を見ることはできないのかーなんて寂しさもある。ああこうしてこれからもずっと、この人が先に変化して、私たちはその変化を追いかけて自分の認識を改めて、ということが続くのだろうなあ。

日々逞しく、大きく変化をしていくこの小さな人と、10年経っても大して変化もしない大人の私たちが、一緒に暮らしている。

ともすれば大人は、教育する側、躾ける側とされ、子どもは未熟、経験不足、躾を受けるべき存在とされてしまうこともあるけれど、

改めて、この人がこの人のままに変化していくことも、この人たちが生きる時代も決して邪魔をしないよう、小さな人たちや、新しい世代から学ぶことを忘れずにいたいな、と思う。

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