とある歌詞のはなし
公開しても後から編集できるはずと信じて適当に書き殴っているよ。
このあまりにも他人事みたいな感覚が
自分だけの痛みとか悲しみが世界から切り離されて浮かび上がるようで好きだなんだとふと思った。
あまりの悲しみに心と体が乖離してしまうし、
自分だけの痛みは誰とも共有しえない。※
どれだけわたしが傷ついていても、世界は動き続けて私を置いていくのだ。
雑踏に紛れて、だれも私を気にもとめない。
だから私にとっても、景色もざわめきも他人事。
※メーデーでも言ってるじゃないか。
分かち合えるものじゃないのなら2倍あればいいって。
↑こういうのって、なんか、つける機能ないんかね。手動?
置き去りにされる私は、最初からずっとここにいた。
悲しみで乖離していた心が、体を再び見つけて少しずつまた重なろうとしてるのかもしれない
いや、体が心を再び見つけたのか…どっちなんだろうね。
話がしたいよでも言ってるじゃないか。
体と心のどっちに ここまで連れて来られたんだろうって。
藤くんの心身二元論についてはいつかまたまとめてみたいね
ところで、
2023/5/27 たまアリできいた歌詞変えがとんでもなかった。
↓
「壊れた心でも 息を続ける体」
これを聴く前日26日、とんでもなく落ち込んでいた。
これまで自分が生きる意味と思っていたものがそうではなかった。
これまで「自分」が愛されてるとおもいあがっていたのが、そうではなかった。
だれかにとって唯一だと思っていた自分が、実は多分中身は「私」ではなくてもよかったのだとしってしまった日だった。
いや、これは、何かがあってそうしったわけではないので、もしかしたら妄想かもしれない。
ただこの日の出来事だけではなくて、生まれた時からずっと持っていた絶望とでっかちすぎるこの頭は、生きる意味という命題を常に自分に問うてきた。
生きることにはなにか目的があるのだと
何かを為さなければいけないものだとずっとおもっているし、自分の生はあまりにも無意味だといまだに思っている。
…これは完全に予断…歌詞を受け取る私のメンタルの前提条件の共有です。
心が壊れたとまではいかなくても、
正直なところ、ここまで生きてくるために支えにしていた柱が2本、ぽっきり折れていたときに聴いた歌詞だった。
元の歌詞もとても刺さるんですけど
ただ、この日の私には、体が息をしたがっているのか、
つまり少し言葉を足すと、積極的に息をしたがっているのかさえわからなくなっていた。
ので、あの日あの場所にいたわたしは息をしないという選択肢を選ぶことができずに続いているだけの消極的な呼吸だった。
ただ息が続いてるだけの体でも
迷路みたいな交差点を渡れるんだとおもう。
どきどき調子がいい時はきっと息をしたがると思うので、大丈夫です。
最近の歌詞は結構抽象的で具体的になに、って捉えるのが難しいけど、解釈の余地があるとその分きっとだれかの心のそばまで近づきやすいんだと思う。
ほんとうは歌詞の解釈なんて人それぞれなので文字にするのはナンセンスなのかもしれん。
それでもどうしても今の私が感じたことをどこかに残しておきたかった。
またこれはと思うことがあったら追記しようかな。
今回書いたところ以外でも、刺さる箇所の多い歌なので。
https://music.apple.com/jp/album/flare/1551746749?i=1551746750
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