SDGsから取り残される俺
今や世界標準となったSDGs
「誰一人取り残さない、持続可能な世界のため」
この為に色んな企業が、カーボンフリーだとか、FSC認証商品だとか、クリーンエネルギーだとかなんだかんだと策を練って努力している。
それをしない事には企業価値も上がらないもんだから、躍起になってできることを探すし、やったからにはと盛大にアピールする。補助金だって出る。就活生たちはこぞって「御社はSDGs関連でどんなことに取り組まれていますか」と面接で人事相手に問いかける。テンプレ質問がひとつ増えた。
環境問題や人種的問題など、少し前までは国単位で社会問題に取り組んでいたが、そこから更に細切れにして企業に働きかける手法をとったようである。明らかに活発かしたように思う。
個人間でもマイボトルを持ち歩くとか、動物実験を行わない企業から物を買うとか、洗えばまた使える金属製のストローを使うだとか、悪質な雇用形態中で作られた品は買わないだとか、そういった動きがあるようで。
ただこの「誰一人取り残さない」の「誰一人」に、私は含まれるんだろうかと考えてみて、一寸ぼんやりしてみるわけだけど、うーん、どうなんだろう
私のような社会不適合者のことも取り残さないつもりだろうか
朝も起きられず遅刻はするし、大学は中退、仕事も特段出来もせず人付き合いも上手くなく、家から出ると調子が狂うから嫌いだ、だからって一芸もなく稼ぐ能力も貯金もないもんで
結婚もしてなけりゃ子供もいない、親孝行もできちゃいない
そのくせバイクには乗るし酒や煙草はやるからちったぁ納税はしてることになるだろうか
いや、うちのバイクの排気ってすげぇんだった確か。ダメだな
いやぁ、日陰もんだ
お荷物だ
社会課題に取り組む力のある人達は
こんな私のことも取り残さずにいてくれるんだろうか
貧困をなくそうとか
飢餓をゼロにとか
働きがいだとか
あぁ、助けられることばかり考えている
自分が変わるでもなくただただ強い人から
手を差し伸べてもらうのを待ってるわけだ
なんてことだ、だめだね
こんなダメな自分との付き合いも死ぬまでの辛抱だとすら考える
SDGsは他者のため、未来のための目標だ
後ろ向きな私では取り残され取りこぼされ
いくら世間が助ける手段を用意して手を差し伸べてくれたって、こちらに「助けられる準備」ってもんがなけりゃ意味が無いわけで
炊飯器がないのに米もらってもな
今年はいくらかマシに変われるだろうか
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