見出し画像

恋愛工学では幸せになれない理由

もはや黒歴史でもあるんですが、社会人最初の数年は恋愛工学というものに触れて、女修行という名のもとただの女遊びに時間とお金を費やしていました。


当時は新鮮な気持ちで学ぶものがあり、実際に面白い経験もできましたが、幸せにはなれそうにないと思ったことをまとめようと思います。


恋愛工学の定義と一般的なアプローチ

定義やアプローチは僕がまとめたものですが、大枠は次のようなものです。

恋愛工学とは進化心理学やフレームワークを恋愛に当てはめる手法。個人の心情に向き合うのではなく、生物的(遺伝的)反応を利用して恋愛を進めること。

具体的には良いな、タイプだな、と思った女性にもテンプレートでコミュニケーションをとり、最終的にセッ〇スまで至る、という手法。セッ〇スまでしてしまえばそのあとは女性が惚れてくれるから、男性はそういった一連の行為を繰り返す中で本当にいいと思った女性と関係を続ければよい、とするものです。

色々突っ込みどころはあるにしても、まあ大筋間違いはないはず。

そのアプローチの中で女性に好意を示すことは悪手とされています。なぜなら好意を示すイコール女性よりも価値の低い(遺伝的に劣った)男性と思われてしまうから。


しかしこれによって本音のコミュニケーションが妨げられてしまいます。良いなと思った女性と深い中になったらもっと親しくなりたいと思うのが男心だと思うのですが、これが認められないわけです。セッ〇スだけして好意を伝えることをしない、その関係が本当に幸せになるでしょうか。僕はならないと思いました。


好意を示すことが悪手?それがもたらす人間関係への悪影響

恋愛工学が好意を示すことを悪手とする、このことについてもう少し掘り下げてみましょう。

まず好意を示すこと。これは相手の優先順位を高くすることです。例えば予定がなかなか合わなかったら相手に合わせて何とか会おうとするような行動です。普通の友人以上に優先するようなこと全般が含まれると考えていいでしょう。広く言えば優しくする、ということです。

優しさが悪手とされるのは、恋愛工学の柱である進化心理学に基づくと、優しい男の遺伝子≒競争に負けて子孫が残らない、というロジックからです。恋愛工学的にはなんだったら女性を雑に扱うくらいが推奨されます。それが強い男の遺伝子≒競争に勝って子孫が残るからです。


とにかく恋愛工学的には女性には優しくするな。雑に扱え。ということです。


人間的にそういった行動が正しいかどうか、は置いておいて実際に雑にあつかうとどうなるでしょう。
これは、モテます。はい。(悲しいかな……。)

ただし雑に扱っているあいだは、という注釈が付きます。
もし女性を好きになったとしましょう。その女性を雑に扱い続けるでしょうか。根っからの非モテの僕にはできません。丁寧に敬意をもって接しますよ。そしてどうなるか。フラれるのです。解せぬ。

(1)親しくなる
↓ 雑に扱う
(2)好かれる
↓ 雑に扱い続ける
(3)好かれ続ける

これが実際に起こることです。
しかし本音ではこうしたいわけです。

(1)親しくなる
↓ 丁寧に接する
(2)好かれる
↓ 丁寧に接し続ける
(3)好かれ続ける

こうするとフラれるわけです。あんまりだあああ


じゃあフラれないために親しくなってからも雑に扱えばいいじゃないか。好かれ続けるから良いじゃないか、というと違うのです。多くの経験者が言います。雑に扱うとか恋愛工学とか知らずにいた頃の方が楽しかったと。テクニックによって手に入れられるのは、あくまでかりそめの関係なのです。

正直な感情を犠牲にすることで、性愛の面で充実を得ることが確かにできます。しかしそれが幸せか。その答えは否です。

では幸せとはなんでしょう。どんな関係性だったら幸せを感じるんでしょう。それは対等な関係から生まれると思います。好きになった女性には好意を表明したい、そして相手にもそれに応えてもらいたい。しかし恋愛工学ではそういった行為は非モテコミットと呼ばれ、女性から嫌われる行為とされています。実際僕にもそのような非モテコミットによりフラれた経験はあります。


次に対等な関係とは何か。対等な関係を男女で形成することは可能なのか。それは互いに恋愛対象として見たうえで成り立つものなのか。といったことを考える必要がありますが、これはまた別の記事で考えたいと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?