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今の吉原とかつての吉原、これからの吉原 〜大吉原展+吉原散策+鶯谷〜

話題の大吉原展に行き、現在の吉原、鶯谷を歩いてみた感想など。

話題の大吉原展へ行ってきた

世間知らずで浅学の私。
やはり展覧会でも浮世絵師たちが残してくれた遊女の纏う豪華な衣装(特に孔雀、鳳凰、虎の衣紋や烏の衣紋が痺れた!)、書(遊女がしたためる手紙の文字の美しさたるや!)、ヘア&メイク(鼈甲の髪飾りやメタリックブルーや玉虫色の口紅!)、生け花(おもてなしの文化は脈々と)、和歌や俳諧や狂歌・狂歌といった江戸文化の数々、蔦屋重三郎(略して蔦重)が手掛けるセンスの塊でしかない出版事業の凄さなど、美しいものにばかり目がいってしまう。遊女による放火の話を「聞いたことがある」程度の私は、テキストのキャプションを読んでも「人身売買の凄惨さ」や「折檻」や「性病」といった闇を想像するのが難しかった。

兎にも角にも楽しすぎる「体感型」の展覧会。帰宅してからXでみんなの感想をハッシュタグ検索してみたら、現在吉原で働く女性のツイートも目につく。「お客様と鑑賞した」というツイートもちらほら。実際「そういうカップルかな」と思わせる男女も会場で見かけた。そして、かつての遊女たちは現在の「吉原の女たち」をどう思うのか?そんなことを想像したり。何よりワズワース・アテネウム美術館、大英博物館、出光美術館、サントリー美術館、各地の郷土博物館から集結した数々の作品たちに圧倒され、江戸時代と吉原の一面を体感できる大満足の展覧会だった。

現在の吉原をツアーで学ぶ

大吉原展の興奮が冷めないうちに、遊郭専門書カストリ書房の店主がガイドしてくれる「遊郭ツアー」に参加。この流れがとても良く、我ながら「グッジョブ!」といいたくなる。かつて台東区に住んでいた私だが、吉原に足を踏み入れるのははじめて。今も割と遠くない場所に住んでいるのに、吉原の場所は正直よくわからず、待ち合わせの「吉原交差点」にはタクシーで行った(すぐ近くの鷲神社には酉の市で毎年来ているというのに!)。

スタートは吉原交差点の「見返り柳」。大吉原展のラストの展示物からのスタートで完璧。ガイドの渡辺さんが用意してくれた古地図資料を見ながら、吉原大門までの道を歩く。「吉原大門」から歩いてきた道を振り返ると、古地図に描かれた「五十間道」と同じカーブが目の前に現れ、確かにここを歩いて吉原を出入りしていた人たちがたくさんいたのだ、と想像できる。ところが今の吉原エリアは最寄り駅もなく「閑散」。ツアーが午前中だったので昼、あるいは夜になると人が多く出て歌舞伎町のように賑わうのか渡辺さんに尋ねてみたが「一日中こんな感じ」と教えてくれた。歌麿が描いた夢のような「吉原の花」をみた直後の私には、あまりに寂しく感じられた。

現在、吉原の入り口には交番があり、メインストリート(仲之町通り)の両サイドには柳の木が連なっている。とても静かな道で人通りは少ない。かつてはこの道に引き手茶屋が連なっていたという。その面影を残す建物は1つだけ。メインストリートを横切るように「江戸町通り」「揚げ屋通り・角町通り」「京町通り」と東西に横切り、かつては遊郭が軒を連ねていたそうだが、今は左右を覗き見ると古臭いソープランドがずらりと並んでいる。タクシーで出勤する女性、客なのか住民なのかわからない男性、店内には店員と思しき若い男性がスマホをいじって座っている姿も見えた。従業員と思われる黒服を着た男性と、おそらく働いている風俗嬢が歩いている姿を一組だけ見たが、女性は若いのに髪にまったく艶がなくどうみても安いサンダル履きにジャージ姿で貧困女性のように見えた。私が想像していた、あるいは少し前に浮世絵で見た「吉原の女性=最上位の遊女(太夫)」とは程遠い。

吉原神社と吉原弁財天

中乃町通りを進むと、吉原の「終点」に近い場所に吉原神社がある。スピリチュアルで有名な江原さんがかつて「パワースポット」とTVで紹介していたので存在は知っていたが、実際に足を運ぶのははじめてだった。御朱印帳を持ってこなかったのは大失敗。この神社は昔から吉原遊女の信仰を集め、現在も女性のさまざまな願いを叶えてくれる神社だそう。神社の真後ろには立派すぎる台東区立台東病院がそびえ立つが、元々は遊女の性病を治療する目的で建てられた病院だそうだ。吉原神社入り口の左側で存在感を放つ大きな桜の木は「逢初桜(あいぞめ桜)」という枝垂れ桜で、遊郭のロマンを匂わせる。満開の時にもう一度訪れたい。

そこから1〜2分歩いたところに吉原神社が管理する吉原弁財天がある。境内には1875年の関東震災の時に弁天池に多くの遊女が飛び込み亡くなったとされる「弁天池跡」も。関東大震災の際に500人を超す遊女が閉じ込められて亡くなったという話がまことしやかに伝えられているが、実際に弁天池で横死した490名のうち、遊女は88名だったというエピソードを教えてもらった。他にも名もなき遊女の墓を前に親にも捨てられた遊女の墓を作ることの意義を知り、「新吉原女子保健組合」の碑を見ながら戦後の娼婦たちが抗生物質などの薬を共同購入し、仲間が長期休業する際に見舞金を渡す仕組みを等を作っていたことも教えてもらった。

吉原弁財天には名前の通り、七福神の一人である天女「弁財天」が祀られている。私はヨガを学んでいるから、弁財天こと「サラスヴァティー」が大好き。これまでは鎌倉や江ノ島の弁財天ばかりお参りしていたが、サラスヴァティー=「最高の母、最古の女神、長寿と財宝の神様」が、この場所にいることに救いを感じた。

柳と桜の木とファミリーマンション

メインストリート(仲之町通り)の両サイドには柳の木が均等に植えられていたが、吉原神社のあたりでそれは途切れ、そこから先は桜並木に変わる。「ここまでが吉原の内、ここからが吉原の外」と示されているように感じた。柳の木と桜の木の間に1棟の新築大型ファミリーマンションが立っていて、そこから赤ちゃんを抱っこした若いママが出てくるのが見えた。渡辺さんに聞いてみると「周辺に比べて地価が安いから流入者が多く、この辺りの保育園や学校のクラスも増設傾向にある」という。「すぐそこが吉原だと知らないで転居してくる人もいますか?」と尋ねたところ「その可能性が高い」と答えた。

私も台東区で一人暮らしをしていた経験があるが、まだ20代だった私を父が異常に心配し、吉原や三谷が与える影響や安全性ついて周辺住民に念入りに聞き回っていたことを記憶している。覚えているのは「その辺りのそういう人たちは、一般の人には手出しも悪さもしないという暗黙のルールがあるし、わきまえている。吉原とか三谷にも寛大なのが下町の粋」的なことを言ってくれた若いお兄さんがいて、それが決め手となり浅草近くで一人暮らしをした。実際4年間何のトラブルもなかった。それどころか外者の私にもお祭りの際にはお神輿を担がせてくれたり、酉の市に一緒に行ったり、別の区に転居した今でも浅草エリアの人たちとは交流が続いている。結婚し浅草でマンション購入検討し探したが、お墓が見えるマンションが多く、怖がりの私は断念。それでも下町の人たちの「生(性)や死」を恐れず受け入れる姿勢に感銘を受け、今でも私は下町が大好きだし「東京に住むなら東側がいいよ!」と友人知人にやたらおすすめしている。

これからの吉原未来予想図

渡辺さんにコロナ禍の吉原、これからの吉原がどうなるのかについても尋ねてみた。渡辺さんの話だと、今吉原に来ているお客はどちらかというと「性的弱者」に見えるという。コロナ禍はネオンも消えて一見休業状態だったが「別にコロナになってもいい」という切羽詰まった客が、半分しか空いていないシャッターから店に入っていたという。性的弱者とは、例えば高齢者、例えば障害のある人、例えば明らかに女性経験がなさそうな気弱そうな男性。手軽にアプリで相手を探せる現代に、アクセスも悪くそこそこ高い吉原にわざわざ来るということはアプリでも出会えない「性的弱者」が多いのでは、と話した。

性風俗の歴史を私は何も知らないが、ネットで調べたところ5兆円規模の風俗産業の中で、圧倒的に強いのが「デリヘル」で2兆5000万円、ソープランドは9,800億円規模だそう。「吉原で働く女性たちに“私は歌舞伎町や池袋じゃなく吉原だ”というプライドのようなものがあるのか?」についても尋ねてみたが、「今の若い子たちは教育されるのが嫌いで欠勤もLINE連絡で済ませたい。店に来るまでに靴を汚すな(タクシーで出勤せよ)、みたいな教育は肌に合わず、働く女性も利用する男性も高齢化が止まらない」そうだ。「風俗店は増改築ができず、老朽化でいずれ朽ち果て無くなるのでは?という見方もあるけれど、その辺りは?」と尋ねたところ、「増改築ができないわけではなく、申請が大変でルールがすごく厳しい。吉原が無くなるかどうかはわからないけれど、形は変わっていくと思う。おそらくセラピー的要素が強くなっていくかもしれない」と話してくれた。

秘密基地、カストリ書房


ツアーのゴールは「カストリ書房」。吉原弁財天の目の前にある。おしゃれなフォントで縦書きに店名が書かれた扉を開けると、全身が古書の匂いに包まれ幸せな気持ちになる。カストリとは「粕取り焼酎」が語源だが、「終戦直後に出回った粗悪な密造焼酎」をさしている。そんな「カストリ」を名乗る秘密基地のような小さな本屋。「遊郭専門書店」というだけあって、これまで私が手に取ることのなかった、それでも背表紙を見るだけで貴重だとわかる本がずらり。カストリ書房を訪れる人も、渡辺さんのガイドを依頼する人も8割が女性だという。併設されたカフェで渡辺さんがハンドドリップしてくれたスペシャルなコーヒーをいただきながらしばし談笑。2025年の大河ドラマ「べらぼう」の主人公が、大吉原展でも触れられた蔦屋重三郎(蔦重)であることなどで大盛り上がり。大河は幕末か戦国時代しか見てこなかったがこれは絶対見ようと誓う。ちなみに蔦重は横浜流星、喜多川歌麿役は染谷将太、田沼意次にケン・ワタナベ、河岸見世の女将にかたせ梨乃、引き手茶屋駿河屋の主人に高橋克己、と見ない理由がない豪華キャスティング!

鶯谷もついでに歩く

さらにこの日は、生まれて初めてJR鶯谷駅で降り駅の周辺を散策してみた。ノンフィクションライターの中村淳彦さんから「そこにいる女性の特徴」は事前に聞いていた。「老婆やデブやブスが最安値で売春している場所で、全員悪霊が憑いている感じ」と、あまりに酷い説明だった。私が歩いたのは15時ごろ。駅から30秒でラブホ街。怖い人は一人もいないが「様子がおかしい人」に遭遇する。化粧がやたら濃い年齢不詳の太め女性。露出が多目でエロスを演出しているけれど明らかに老婆。ヨタヨタ歩きのお爺さん。非モテ系のぽっちゃり男子。ゴスロリっぽい格好でホテルに入った女性。ホテル街をウロウロしていて2回ほどすれ違ったおじさん。ほぼホームレスなのか病気なのかずっとすり足でうろつくロン毛のおじさん。知り合いの編集者さんから「鶯谷にはどこにでもある学習塾がない」と聞いていたが、カラオケさえ一軒もない。ホテルと安っぽい立ち飲み家と、知っている店はなぜかドンキホーテとドトールにマックだけ。

駅前のホテル街から3分程度歩くと言問通りにぶつかるが、言問通りは東大の中を抜け、根津を通り鶯谷、入谷、浅草、隅田川と続く。個人的にタクシーでよく通る道だ。言問通りを通り越して、少し歩くと現在区改装中で休業しているけれど創業330年という歴史を誇る豆腐中心の日本食が食べられる「笹乃雪」や、2017年にリニューアルされたサウナや炭酸泉が完備された「萩の湯」がある。さらに入谷側に歩いていくと学問や芸能、仕事に関するご利益があるとされる小野照崎神社。小野照崎神社はあの寅さんこと渥美清さんがこの神社にお参りした数日後に「男はつらいよ」の主役オファーがきたことでも有名で、私も数回お参りしている。それなのに、鶯谷駅を降りたのははじめてで、こんな異様な場所が山手線内にあることが衝撃だった。西日暮里あたりから上野、省略して東京、有楽町はよく使っているのに「鶯谷」だけその存在を私は完全にスルーしていて、電車に乗っていても見えていなかった。なんたること。「鶯谷がある人」と、「鶯谷がない人」との間にはどのような違いがあるのか。わからないけれど、多分、何か大きな隔たりがあるのだろう。

美しいものが好きだけれど、どうしようもなく混沌に惹かれてしまう


今年の1月に私は立川談春独演会を聞きに行き、そこで古典落語の「明烏」を見ている。21歳の一人息子、時次郎があまりに真面目で堅物なことを案じ、町内で有名な遊び人の源兵衛と太助に頼み、息子を吉原に連れて行ってもらうという話。遊郭で遊ぶことを嫌がっていた時次郎は、結局最後に浦里という絶世の美女(花魁)から好かれいい仲になるという、男子校のノリみたいな話。私の好きな落語の一つだ。私は綺麗なものや美しいものが好きだけれど、無菌で殺菌された世界はどうも苦手で、雑多なものや綺麗事だけでは済まされないリアリテイのある世界にどうしようもなく惹かれる資質がある。理由はわからない。

混沌が好きなのだろうか。
私自身が混沌とした人間だからだろうか。


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