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やくざと金時計


トラの敷皮と五重塔が飾られた組長の部屋に、北大路欣也がいる。
そこにいるのは無論、回転すしや携帯電話のCMで見るような余裕と貫禄のある姿ではなく、坊主頭に落ち着きのないぎらぎらした目で薄汚いなりをした、二十代のうつくしい欣也である。

彼が演じる山中正治という男は、数日前にチンピラどもに訳が分からないほどにぼこぼこにされた。
彼の額の傷にはまだガーゼが張り付いており、
「自分をこけにしたやつらを全員殺ったる」
と、復讐に燃えている。

部屋にいるのは村岡組の組長。
彼は気前よく自分の腕から金の時計を外し、
「ええ男になれよ」
という言葉と共に、山中にそれをぽんとやる。

山中は目を潤ませ、もらった金時計をまるで数珠のように握りしめ、
それから拝むように深々と頭を下げるのであった。

仁義なき戦い

これは、「仁義なき戦い 広島死闘編」の超重要場面である。
(それからの山中は、親分の姪である未亡人の靖子(梶芽衣子)と恋仲になるが、この映画で二人の真実の愛は組同士の争いに利用されるだけである!)

山中は若く、まっすぐで野心もある。
それゆえ簡単に、金時計ひとつで騙される。
若者が騙されたことに気づいた時、事態はもう取り返しのつかないところまできている。

忠誠を誓う、愛に生きる、命を懸けて恰好つける。
それが任侠映画の美学である。
やれと言われればやるしかなく、つねに命を捨てる覚悟で突き進んでゆく。
その先に何があるのかなど、考えない。

しかしじっさいは、そんなふうには生きられない。
命は尊く平等で自分のためにあり、誰かの使い捨ての駒になる人生、ようは社畜になることを、私たちは全力で回避するしそんなことをされたら生涯許さない。

一瞬の情熱で人生を棒に振るようなことをすれば、後悔するし「若いよね、なんつうか、生き方がヤンキーなんだよね」と笑われる。
リスクを避け、より安定した暮らしを望み、向上心を持って根気強く努力する。それが現実だ。

しかしそうやってささやかな幸福を手に入れるまで、私たちはどれだけの恰好のつかないまねをしてきたのだろう。

争いを避けて生きてきた結果目の前にあるのは、のらりくらりと長生きするだけの、スポットライトの当たらない情けない人生。

「仁義なき戦い」を繰り返し観ることがやめられないのは、やくざの生き方にあこがれを抱いているからである。
ああ、自分もあんなふうに後先考えずに思い切り生きられたなら・・・と思いながら、スクリーンの中の彼らを見つめる。

しかし、脱獄してまで靖子に会いに来た山中を助けようとしない親分に、
初めて反抗する靖子が、泣きながら仁義を訴える場面がある。
所詮極道の世界での義理人情とは絵空事であり、
それを信じていたのは、愛し合っていたわかい二人だけであったという結末が、なんとも悲しい。

スクリーンショット (11)

刑務所と書いて(なか)。

外出自粛は時々息が詰まるけど、この時の山中ほど命がけでそとに出て一目でいいから会いたい人もいないし、訴えたいこともないので、家でおとなしくしている。
ああ、なんてつまらない人生!
というかある意味で、塀の外は全部そとなんだと思うこともできるよね。

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