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自分の本心って解らないって話

とある舞台音響の仕事がありました。

僕はその仕事を受けてしまったものの、はっきり言ってめちゃくちゃ嫌で、

本番の半年以上前から
どうにか断れないか、奇跡が起きて「やっぱいいや」とならないか

と悶々と考えていました。

それと同時に請けたからには今の機材では無理だアレとアレとアレを導入しよう、稽古見はひと月で足りるのか、多分急な変更があるから会場で編集できるようにこういう形式のデータを持っていこう。

とも日々考えていました。

これ全く逆の方向に向かって考えてるんですよね。

そうこうしていると世間ではコロナが流行りだし、諸々の事情で音響を僕に頼む予算がなくなり、奇跡的に「やっぱりいいや」と言う状況が訪れました。

それはもう奇跡です。自分から断る必要もなく、先方との関係性も悪くならない、なんなら申し訳ないとすら思ってくれているそんな状況です。願っても普通は訪れないような奇跡により見事その仕事を回避したわけです。

そんなわけで晴れて普通の観客としてその舞台を見に行きました。こんなに気楽なことはない。最高だぜ!と思いながら舞台を堪能しました。

帰る際、仲の良い演出家の子とひとしきり喋り、「それじゃ戻るわ」と行って夜公演の準備のため現場に戻っていく彼を見て、本当に不思議なんですがなんか寂しい感覚に襲われたんですよ。

あれ、もしかして僕はこの仕事やりたかったのか……?

あれだけ憂鬱で嫌だった仕事なのに

やりたかったんか……?

「せっかくなんで夜の部も見ていきなよ、ちょっと狭いけど俺の場所ならいいよ。」

と言うお誘いを結局丁重に断ったんですが

・本当にしんどいしマジで結構です。

・え、いいの?ありがたい!!終わったらバラし手伝うわ。

という二つの全く逆の考えが同時に頭の中でぐるぐる回ってました。

ほんと自分でもどっちが本心かわからない。

そんなことを考えて昨日から悶々としているのですが、

悶々としている状況というのが悪ということは確かなんで、どっちも本心なのだろうという事で決着させました。

全くめんどくさい性格です。

そんな話でした。




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