マイゴジ感想③

最後に敷島の相手、典子が生きていたのは特攻に始まっていまの日本の様々な作品の死への賛美への否定。登場人物やキャラが死ねばそれはデストルドーによって賛美とエモに消費される。特に最近のエンタメは死がカジュアルなものになってしまっている。それは日本だけに留まらず、死という現象が他人事のように疎外化されているのか、それとも死が日常にある当たり前のものとして享受されているからなのかは私にはわからない。もし後者である場合、現代人は目的がただ目的として機能し、自分の目的達成のための手段としての死が特別視されなくなったということだ。死をただの現象や結果として享受し、賛美することも卑下することもなく、ただ事実としてのみ死が認識される。それは人類の進化か?それとも個人主義によって人間が自然権を権力から取り戻し、自然状態に回帰した姿か?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?