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かわいいなんてくそくらえ

私はいい顔を持っていない。幼いころから分厚い眼鏡をかけていて、しかも重い一重でそばかすがある。もともと歯並びが破壊的で、健康な歯を4本抜いてまっすぐ並べるのを試みたものの、まだちょっと歯があごにうまく収まりきっていないというのが現状である。そのせいで、十代のころほどではないが、今でも鏡や自分の写真を見るのが苦手だ。親ガチャではないが顔ガチャには控えめに言ってあまり恵まれなかったほうだと思われる。

こういうことを書くと、顔より中身のほうが大事!とか言われそうであるが、一般的にうつくしいとされる顔を持っている利点は社会で正しく認知されていないように思う。アメリカの研究であるが、例えば悪人っぽい顔の人は、善人っぽい顔の人より死刑になりやすいという結果が出ている。人の顔というのは思っているよりも私たちの人生に影響を与えているのだ。顔のせいで終身刑ではなく死刑にされたらたまったものではない。

こんなことを書くと、じゃあ整形を勧めているのか、とか簡単に顔を変えるのは難しいのにそんなことを主張するべきではない、という批判が来るかもしれないが、現状を正しく見つめるのはどんな状況でも有用でこの場合も例外ではないように思う。もちろん社会が変化して、見た目に関係なく中身や行動で評価されるようになるのが一番いいのはいうまでもないが、これはちょっとどうやって達成するのかわからない難題なので、とりあえず美しくないとされている顔に生まれてしまった場合に当事者としてどうするべきか、いくつか対処方法を考えてみた。

顔を変える(整形、メイク、歯科矯正、スキンケア、皮膚科等)

これが一番スタンダードな適応法であるように思うが、この対処方法の問題はお金や時間などかなりのリソースを取られることであろう。私の場合は、歯科矯正や日焼け止め、レチノールなどのアンチエイジング効果のあるスキンケアなどには取り組んだ。が、整形やメイクをするエネルギーはなく、この解決法はあまり自分向きではなかった。そもそもこの方法では(私のメイクスキルの問題かもしれないが)醜い顔が少しマシになるくらいであまり効果がないのに加え、自分の醜さに向き合ってそこを変えていくというのはかなり精神的なパワーが必要であるように感じられた。

あきらめて他の方法で顔の醜さをおぎなう

いわゆる、顔がダメなら中身で勝負、という方針である。でも個人的にはこれは充分な解決方法とは言えないと思うのだ。だって、いくら素敵な人間になったとしても私が醜いという事実は変わらないし、醜いからという理由で受けるあらゆる被害からは逃れられないのだから。

環境を変える

じゃあどうするのか。私の場合は、環境を変えるのが一番効果的であった。具体的には、アメリカに移住した。どんな人が美しいか、というのは国や文化によってかなり変わるもので、私のコンプレックスだった重い一重やそばかすも、アメリカだとそこまで気にされない。というか、そばかすはむしろ歓迎されるし、一重とか二重とかそういう概念が存在していない。東アジアの人間は一重だろうが二重だろうがみんな「細い目」としてひとくくりにされている。アメリカにはいろんな見た目の人がいるから、日本でうつくしい人にはなれなくても、アメリカならそこそこ醜い人ではなくなる気がする。みんなあまり他人の見た目について話題にしないのもいい。

かわいいかどうかなんて世界共通の絶対的な基準があるわけでもないのだから、日本でかわいくないのなら、自分がかわいいされる場所を探しに行くのもありなのだ。自分の顔が醜いとされるところで生きるのはつらい。それに、いろいろな価値観に触れると、正直こんな恣意的な基準に振り回されるのがばかばかしくなってくる。かわいいなんてくそくらえ、日本でかわいくない私にも、「普通」の見た目になれる場所はある。


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