天秤
2020年10月12日22時22分祖父が亡くなった。
急性心筋梗塞により浴槽内で溺死だった。
21:30頃にばぁちゃんから電話が来た。荷物が実家に届いたりするとよく電話があるので、それかな?と思って出てみた。
もしもしと僕が言い続けても電話の奥で誰かと話しているばかり。
間違ってかけてきたな。と思ったら電話が切れたので、やはりと思って缶チューハイの蓋を開けた。
するとすぐにまた電話がかかってきた。
もしもしと僕が言い続けても、またもや奥で誰かと話しているばかり。
切ろうとしたら「しげ?今おじいさんがお風呂で溺れちゃったんだけど、救急車呼んだからもう大丈夫。」と飄々と言われた。
そして「ちょっとまってて」と言ったまま電話が切れた。
これはよくあるのだ。電話の途中に何故か切るのだあの人は。
開けた缶チューハイを一口飲んだ。
この日に限って、ゆっくりお風呂に浸かりたい気持ちになって、1時間くらいお風呂にいて、まだ酒を飲んでいなかった。
家族の入院は何度があったので、もしかしたら入院用の寝巻きなどを届けるのを手伝え。と言われる気がして、酒は残したまま実家に帰ることにした。
暫くすると母親から電話が来た。
「じいちゃんがお風呂で溺れて。もうダメかもしれない。」と
ん?思ってたのと違うぞ。
「とりあえず帰ってるから。」といって電話を切った。
実家に帰ると外にもう母親がいて一緒に病院へ向かった。
車内で経緯を聞いた。
いつもより風呂がながいなと思ったが、シャワーが出てたのでまだ洗ってると思ってた。流石に遅い過ぎると覗いたら、湯船の中に全身浸かってしまっていた。湯船から顔を出すだけで精一杯で蘇生措置が出来る余地はなかった。いつから心肺停止だか分からない。
病院に着くと、ばぁちゃんとばぁちゃんの妹のおばさんが居た。
お医者さんは居なかったが、点滴をして、「まだ温かいんだよ。」と話していたので助かったんだと思った。
すぐにお医者さんが来て色々説明してくれた。
救急車に乗った時、病院に着いた時、そして今も心肺停止から復帰してはいない。と。
そして、22時22分。死亡確認。
そこから親戚中に連絡。親父と弟は県外に居るが、直ぐに帰ってきた。
葬儀屋に連絡して、じいちゃんを葬儀場まで送った。
葬儀場は宿泊できるので、火葬までの3日間久しぶりにじいちゃんと俺は2人きりで寝た。
通夜でも告別式でも泣かなかった。でも花を入れ、棺が最後に閉じられた時だけ泣いてしまった。
骨はとても軽く。骨壺はとても熱かった。
後悔とはなんと愚かで苦しい感情なのだろうか。
本当に出来なくなってからあれやこれやとやりたかった事が溢れてくる。
俺は馬鹿だから。きっと後悔しない生き方は出来ない。
でも、出来るだけ後悔させない生き方をしたいと思った。
人は、心に保険をかけながら生きている。無理な言い訳を探して傷つかないように生きている。
結局自分の心は自分だけのものなのだ。経験や環境で、みんな違っているのだ。
だから、分かり合うなんてことは土台無理な話なのだ。
ただ、分かり合えなくても、認め合えれば。それは幸せな事なのではないだろうか。
好きでも嫌いでも。納得出来ればそれがちょうどいい関係なのではないだろうか。
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