命ばっかり/ぬゆり 考察

「命ばっかり」=「命だけ」
純情であるが故にしたいことをしてたら失敗が重なって命だけしか残っていなかった。
「ばっかり」の意味を「だけ」と変換できるのはタイトルの英訳が「It's Just Life」であることも起因する。

後の説明のため曲全体を通してのテーマを、言い換えれば結論を先に述べる。自由が叫ばれ個人の努力が結果になる時代になった。しかしそれは同時に個人の失敗もその人の結果なることを意味するのだ。自由が故に被害を被ったとしても誰しもが自己責任と吐き捨てその人を救おうとはしないし、本人も自己責任だと思い動かない。動けない。誰の責任にもできないから自分が悪いと思うことしかただただできない。
主人公は主人公なりに努力するのに、本質がそれを邪魔する。
努力しても報われないことがある。
最後まで本質は変化しなかった。

MVでは多種多様の椅子がありその一つ一つを主人公が座り比べる描写がある。どの椅子に座るかは自由でも自分にぴったり当てはまる椅子は少なくて、結局自分から選ぶと誰かから強制されて無理やり嫌な椅子に座るよりも結果的に悪いことがある。

「日々を磨り潰していく 貴方との時間は
簡単なことじゃ 許せないくらいに
おかしくなってしまった 安心したいだけの
口先だけじゃ いや いや いや」

「貴方」とは何か。単純に主人公とは別の向かい合う人物が居ると捉えることもできるが全体を通してここでは主人公の「命」という概念を具現化したものだと考えたい。
言い換えれば自分の体そのもの、近い表現だと精神や人生、性格などの概念を統括したものだと思われる。
自分のその「命」と日々を磨り潰していく様に過ごした時間を自分で、許せない、許せないというのは認められない、自分の気持ちが整理できないという意味で捉える。ここで自分の「命」に気持ちを整理できていない(納得できていない)のが後々鍵になる。それは安心したいだけのうわべだけの言葉で簡単に変わらない。

「どこまでも単純だ ここまでと悟った
座り込んで もう歩けなくなる
最初だけじゃないなら 際限もないならば
どこへだって 行けるはずさ」

表現が曖昧なので解釈が分かれるところだと思う。そのため断定的なことは言わない。「どこまでも単純だ」、「際限もないならば」。これは前述の自由主義について述べてるのではないかと思う。Aをすれば見返りが貰える。Aをしなければ見返りは貰えない。何をするのも自由で際限がない。そのシステムはどこまでも単純である。
どこまでも単純であるのに、際限もないはずなのに、自分が動けるのはここまでで、一回座り込んだらもう歩けなくなった。
「最初だけじゃないなら」。歩ける範囲が決定されるのが最初だけじゃないならばとここでは捉える。歩ける範囲が決定されるのが生まれつきや遺伝子だけでない(最初だけじゃない)ならばどこにでもいけるはず。その方法が後述の「水」である。

「遠くへ 遠くへ 水の味を覚え
街路に 目が眩み 夜を越えてしまう
遠くへ 遠くへ 動けない僕のことを忘れて
知らないを知りたかった
知り得ることはなかった」

「水」は例え不味くても飲み込まなければ生きていけない。
ここではそれを「常識」と捉える。
ちなみにMVの中で主人公は服装が変化していく。この場面では学生服である。
主人公は自由主義の社会の中で「貴方」との日々がおかしくなってしまったことや、本当の自分に従うだけでは歩ける範囲に限界があるとわかったことなどから、「常識」を使い他の人と馴染み歩ける範囲を広くしようと考えた。
「遠くへ 遠くへ 動けない僕のことを忘れて」
「街路」とは人が行き交う「街」の「路」である。街とは社会的でコミュニティのことである。街路はその街の家と家を繋ぐネットワーク。つまり街に住むというのは人間社会に溶け込むことで、その街路というコミュニティへの憧れから主人公は「夜」。ここで「夜」は比喩的に「街」と対になる暗い暗鬱としたものだと考えるが、その「夜」を超えて"しまった"。目が眩んだばっかりに常識を無理に飲み込んで、コミュニティに入ろうとした。「夜」から街路の中に飛び込もうとした。街で家を持っていないのに。
そしてコミュニティに参加して、知らないことを知りたかったのに、結局、本質は変わらず知り得ぬことはなかった。本質が変わらなかったことは後述の胡蝶の夢を参照。
この知らないことというのは歩く範囲を広げる方法とか本当の自分をどうすれば社会に馴染む自分にできるかとかだと思う。

「水圧で動けなくなっていく
また蝶の夢を見る」

水圧=社会に所属することで生じる常識という抑圧。「貴方」とのおかしくなった日々を直したり、動ける範囲を広げようとするために水を飲んだのにも関わらずただ抑圧に苦しむだけで「貴方」は変わらなかったし、行動する範囲も水圧で流されて大きくなることはなかった。

胡蝶の夢。中国の思想家壮子の、端的に言えば自然のままに身を任せる(無為自然)。善悪や美醜、生死など対になる考えは人間的な感覚でありそれを超越して無の境地に立てばそれらの対立は消え全ては等価である(一切斉同)。という2つの考えを表したものが胡蝶の夢である。
夢の中で壮子は自身が蝶になる夢を見る。ただ、果たして蝶が壮子になる夢を見ているのか、壮子が蝶になる夢を見ているのか。それは極めて曖昧な基準でしかない。しかしそれは些細な問題ではなくどちらも等しく「己」なのである。wikipediaから引用すれば、形的に何かが変わっても本質的には変わらないということである。
主人公は、知らないことを知りたくて、街路に目が眩んで、無理に水を飲み込み、コミュニティに参加しようとした。しかしそれは形的には変わっていても本質的に変わりはないのである。どれだけ変わろうとしても本質的な「貴方」は治らなかった。傷つくだけで何も知り得ぬことは、なかった。

「好きになりたかったんだ
好きになれなかったんだ」

「水」を飲むことで「貴方」を変え、本当の自分を好きになろうとした。でも「貴方」は変わらなかった。好きになれなかった。

「『正しい』を理想としていたら
置いて行かれた
追いつけなくなったんだ」

他の人がしてるように自分も正しさを求めたら自分は他の人に比べ不器用で水圧に流されて、むしろ動ける範囲は小さくなって置いてかれてしまった。

「当たり前に過ぎていく はずだった時間は
何十年とも 感じるほど長く
眠りすぎた頭痛で 這い出してきた僕は
どこにももう 行けやしないから」

しれっとMVで主人公はここからパーカーを着ている。1番との時間的な場面転換があることが読み取れる。
一番の「日々を磨り潰していく 貴方との時間は」という表現は、言い換えればこれは"異常な"時間経過である。対して、この異常な時間経過から逃げようと主人公は本当の自分(貴方)を捨て常識を飲み社会に飛びこんだ。それは街路に希望を持っていたからである。飛び込む前にはこれで"当たり前な"時間経過が起きるだろうと思っていた。期待していた。しかし違った。「当たり前に過ぎていく"はずだった"」。結局主人公には不適な環境で何十年とも感じるほど長い時間経過になってしまった。
そんな希望と実際が曖昧になる、つまり夢と現実が曖昧になった故に起こってしまった頭痛で、逃げるように僕は街路から這い出した。そしてもう「貴方」も「街路」も捨ててしまった主人公はどこにももう行けやしない。
ちなみに胡蝶の夢は現実と夢が曖昧になるという意味でも使われる。
そんな胡蝶の夢にのめり込みすぎた(理想を抱きすぎた)ことを「眠りすぎた
」と表現している。

余談だが、ここでMVで椅子を選ぶような画面が再び出てくる。結局最初に選んだ椅子と同じ椅子を選んでしまっているのは恐らく本質が変わらないということをここでも表現しているのだと思う。
ちなみに最初の椅子を選ぶシーンとの差異は後方のドアと額縁が、それぞれドアは消え、額縁は主人公が自ら取り外していることだ。
ドアは単純に選択肢を暗に喩え、それがなくなる=選択肢が消えていく。
額縁はプライドや功績を喩え、常識を飲む仮定でそれらを手放さなければいけないこと…かなぁ...()

「どこまでも純情だ それでしかなかった
飾らないで 分かち合いたいから
貴方の影が眩む 見失ってしまった
また眠れない 夜になっていく」

「純情」「飾らないで 分かち合いたいから」
純情とは素直という意味で捉えて自分がしたいがままという意味だと思う。転じて、わがまま。自己中心的。
ここで言う「眩む」は「街路に目が眩む」の眩むと同じ意味で捉えていいと思う。「夜」も前述の夜と同様。
最初、「貴方」との時間が許せなかったから常識を飲み込んで他の自分を探したのに、その他の自分もしっくり来なくて、わがままだから、飾らないで分かち合いたいとか言い訳して、結局また本当の自分に目が眩んで、夜に戻ろうとしている。「貴方の影」=「本当の自分」

「『どうしたいの』なんて問えば
『どうもしない』なんて返す
貴方はもう何も教えてくれないの
今日食べた食事も 行きたい場所さえもう
何にも どれをとってもわからないだけだ」

常識と自由という概念のデメリットにだけ挟まれて、「貴方」(命)はもう何も自分のしたいことを言わなくなってしまった。
何をするにしても意思というものは既にすり減り自分がわからなくなってしまった。
ちなみにここのMVでステーキ食べてる時、左手にナイフ、右手にフォークを持っていて、社会にうまく適用できないことを表現している。っていうのをコメント欄で見た!()
自分で気づきたかった!!!!
(蝶を切る時右手でハサミ使ってるから主人公が左利きとかじゃなくてわざとそういう表現してるっぽい)

「遠くへ 遠くへ 水の味を覚え
街路に 目が眩み 夜を越えてしまう
遠くへ 遠くへ 動けない僕のことを忘れて」

考察は略。

「貴方の横顔を見て
引け目を感じてしまった
救われたいとだけ喚く僕は
きっともう我楽多だ」

自分の心を真正面からではなく側面から見て、引け目(罪悪感)を感じてしまった。
横顔とは自分の心の表立っていない側面という意味なのか、正面から見る勇気が出ないから横顔をわざわざ見たのかどっちだろうか。私は後者として、自分の心をここまで黒くしたのは結局は自分が行動した結果で自分を追い詰めたのは他ならぬ自分自身でしかないという罪悪感を引け目と表現しているのだと思う。横顔を見て喚くだけの僕には価値がもうない。

「思想犯はもう止めた
『分かれない』を悟っていた」

ここでは思想犯とは考え(思想)に基づいて行為を行い、それが悪い結果(犯)になるという意味で使ってると考える。
「貴方」との異常な時間経過をなくすために捨てても結局幸せにはなれなかった。
コミュニティに属した結果本当の自分がわからなくなりコミュニティから抜け出そうと考える。
結果的に街路に飛び込む前より状況が悪くなった。頑張っても結局本質的には変われなかった。何もわからなかった。これを思想犯と表現してると思う。
(この「思想犯はもうやめた」が胡蝶の夢で言った無為自然と意図して繋げているのであればめっちゃ熱い)

「とりとめのない言葉だけでは
薄紙を剥がせない」

若干youtubeの考察を引用して自分の考えを交える。
この主人公が堕落した原因は決して他者からの何かではない。全て自分の判断で行って自分で失敗したのだ。病気とかいじめの類とかでもない。自己責任で全て失敗したのだ。
誰かからの悪意で堕落したのであれば変わる事はできるが、急に大きな厚紙が貼られたのではなく自分の本質として生まれてからずっと薄紙が貼られていて、今更簡単な言葉では取れなくなっている。

「普通に固執することが
怖くてもう泣きそうだ
自堕落を鏡で見ていたら
薄っぺらだ
薄っぺらだ
薄っぺらだ
薄っぺらな僕だった
ぼくだ
ぼくだ
僕だけだったんだ」

常識に合わせたのも本当の自分になりたかったのも、唯「純情」に普通になりたかっただけだった。しかし、普通になれなかった。本質が邪魔をした。
残った僕には何もなかった。普通になろとして結局は逃げるからトラウマになってしまった。

恐らく逃げることを自堕落と表現している。

歌詞の考察は以上です。
ここまでを踏まえて曲の都度都度に挿入されている歌われてない文章を読んでみてください↓

あなたはそれを理解している
あなたはどこへだって行ける
あなたは不正解を選んでいる

あなたには住処も食べ物も正しい気候も選択することをすべて与えられている
あなたはその上で理解できない
ここに地獄はない

離れていく私の頃のまわりに何があったかだんだん分かっていく
私はどんどん小さくなっていく新鮮な幸せを食いつぶしている。
食いつぶしている。古くなったら捨てている。

あなたはそれを理解している。
あなたはどこへだって行ける。
あなたは不正解を選んでいる。

ここに地獄はない。

あなたは住みかも、食べ物も、正しい気候も、選択することも与えられている。
あなたはそれを理解している。
あなたは錯覚をしている。
あなたはそれを理解している。

あなたはその上で理解できない。

ここに地獄はない。

サードパーソンが遠のく。 間近で見えていたわたしの 頭から視点が離れていく。

離れていくわたしの 頭の周りに何があったか だんだんとわかっていく。
わたしの姿は どんどん小さく なっていく。
わたしが小さく なっていく度に 視界が広く なっていく。
わたしは どんどん 小さく なっていく。

ごいりょく無 天国
一つもあなたに話したいことがない。
夜に飽きている。

あなたはそれを■■している。
あなたはどこへだって■ける。
あなたは■■■を■んでいる。

ここに■■はない。

あなたには■みかも、■べ■も、■しい■■も、■■することもすべて■えられている。

あなたはそれを■■している。
あなたは■■をしている。
あなたはそれを■■している。
あなたはその■で■■できない。

ここに■■はない。

新鮮な幸せを 食いつぶしている。
古くなったら 捨てている。
振り返ると腐敗物でできた道ができていて、蟻がたかっている。
それは腐敗物なはずなんだけど、どうしてか有難がって啜っている。
わたしは、わたしが捨てたものに価値を感じられずに
また新しいものを捨てていく。
砂を噛むようで味気ない幸せを何回も使い捨てて、
それが無くなるのをただ恐れている。恐れながら進んでいる。

ごいりょく無
地獄

○■■■■■■×■■■■■■■■。 ▲■×■■■■。

頭の引き出しに限界を感じる。
一つに入れて、また開けようとするともう開かなかったり、中身がすり替わっていたり、もう取り出せずにこびりついていたりする。
なんだかもやがかかったようでうまく話せない。
ぼんやりとしか思い出せない。
これを「頭の病気でなんらかの制限がかかった状態」だと思えれば、 頭の病気を直してすっきり新しく人生を始める気分にきっとなるんだろうけど、
「脳がすっかり死んでしまっているのでもうこれ以上よくならない状態」
だったらと思うとどうしていいのか分からない。
今まで出来たことを繰り返しなぞっていくのは大変に退屈で、また屈辱で、きっとわたしには耐えられない。
すっかり殺してしまったのは多分わたしだから
誰もきっと責められない。

こんなに分かれない人生だと思って生きていなかったでしょう。
これから先あなたの人生は何が大切だったかわからないし
みんなが何に惹かれて生きてるのかわからないし
その自分をきっと特別な存在だと思って生きるでしょう。

でもそれはあなたに穿った視点を与えられたのではなくて、
ただあなたが何も分かれないだけなのに。

命ばっかり


稚拙な考察をここまで読んでいただきありがとうございました。

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