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マスターと名乗るより、プラクティショナーでいる。

以前マインドフルネスの講座の後に、受講者から「実は坐禅を続けていたのでマインドフルネスについて学べて理解が深まって良かったです!」などと何人かに話しかけていただいた。マインドフルネスは初めてでも、マインドフルネスという概念が自分の趣味や日常と繋がって嬉しいのは、かつての私のロミロミがそうだったので、とてもよく分かる。

そんなふうに話しかけてくださった受講者の中に「マインドフルネスを学ぶのは初めてだったけど、医療系の仕事をしていて言葉は前から知っているからすぐできたよ。私は呼吸法をマスターしているのでね。」と言う方がいた。その時点で少し違和感を持った。

その方との話は続いて「いやあ、松元さん、ひどい上司にやられて、大変だったね」と言われ何のことか分からなかったので聞き返した。すると、講座中に私が、前職の上司にとても良い指導をしてもらったお陰でマインドフルネスの理解が深まった、というエピソードを紹介したのだが、その上司のことだった。「いいえ、本当に良い上司でしたし、私、そう言いませんでしたっけ?」と聞くと、「あ、そうだったのですね。どうしても言葉の裏を読んでしまって。」と答えられたのだった。
その時、私はなるほどこの方は全く悪気無く無意識に「斜に構えてしまっている」のだろうなと合点がいって「初心でお願いしますって言ったじゃないですかー」と笑って応対した。心の中では、私の伝え方が足りなかったせいで、気づきが少なくなってしまったのだなあと、申し訳無くなった。


私のマインドフルネスの講座では、師匠の清水ハン栄治さんに習って、グラウンドルールとして「初心でお願いします。」と伝えている。

以前もnoteで書いたのだが、初心とは初めて何かをするかのように楽しむ、味わう心。それにより解像度が上がり、新たな気づきが得られる。  

この場合の初心の反対は「斜に構える」じゃないかと思う。 

前にやったことがある。
知っている。
わかっている。

と、無意識に思い込むことによってせっかくの学びやレベルアップの機会を逃してしまっている。

同じ時間を使うなら無意識の意識で斜に構えてしまうのではなく、意識的に初心で学ぶということが必要だ。それができる人こそ、ゆくゆくはマスターになっていけるのではないかと思う。

マインドフルネスの普及に力を入れるフランスの有名なお寺、プラムビレッジの僧侶の方々が来日して前職の会社に研修に来てくださった。その際おっしゃっていたのが「朝瞑想してどんなに整えても、日常を過ごしているとだんだん頭に埃が舞うので、日に何度も瞑想をする。そしてマインドフルな時間を意識的に持つ。」とおっしゃっていた。私も毎朝、瞑想をしているが、日常生活で「ああ、今全然マインドフルじゃなかったな」と気づくこともしょっちゅうだし、瞑想しても全然集中できないという日もある。でもそれはそもそも「実践している」からわかることだ。

私は現在NLPというコーチング手法を学んでいるのだが、その資格の名前はNLPプラクティショナーだ。私はこのプラクティショナーという言葉が好きで、とてもしっくりきた。
もちろんマインドフルネスを伝えると言うことに関してはお金をいただくプロなのでプロとして臨んでいるが、「マインドフルネスをマスターしていますか?」と聞かれた場合は「いいえ、私はプラクティショナーです。」と答えたいなぁと思う。

それこそがマインドフルネスを楽しむ≒初心ということを表していると思うからだ。

(関連記事)

マインドフルネスを伝えるということ。
https://manabiya.academy/1090

(おしまい)

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