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言葉にするということ

言葉って本当に何気なく毎日使っているけどすごい影響力を持っていると思っていて。それはプラスにもマイナスにも。

小さい子どもたちにとっての言葉って、経験があまりない分さらに重さがすごいと思っていて、何気なく放った「かわいそうに。」っていう一言で、自分のことを【かわいそうな子、だめな子】認定して辛くなってしまう子もいるんじゃないかなって。気にしなくていいことも気にしてしまうこともあるよなあーなんて思ったり。

だから私は言葉を発することが苦手だったし、これを言ったら相手は不快に思うだろうか、とか自分は言われたら嬉しいけど相手は嫌だと思うんじゃないだろうか、とか発した先の相手の気持ちとかを考えすぎてどうにも言葉が出てこなくなってしまってた。

対面で話すのだって相手に間違った意味合いで取られないように気を使って話たりするのに、字面で見るとまた雰囲気変わるから文章のときはさらに気をつけなきゃってどんどん文章書くのも億劫になって。だからSNSの更新も苦手だったんですよね(言い訳。半分は面倒だから)

プラスの言葉でも、「大丈夫!」とか「きっとできる!」とかも使い方を間違えると相手を苦しめたり逆に不信感を与えたりして。

もはや色々考えすぎて何を発したらいいのかわからなくなったときもあるけど、何より共通して言葉で傷つくときって発した人がその言葉に【責任を持ってない】時だと思う。

例えば、同じ「大丈夫!」「きっとできる!」って言葉でも相手のことを本当に応援していて叶えようとしているなにかに自分も助力しようと思っている人の言葉と、ただ無責任に「大丈夫!」って言われるのでは重さが違う。

その人を本当の意味で想って、どうにか助けたいと発した一言ならきっと同じ言葉だとしても傷つくことはないんじゃなかろうかと。ちゃんと想いが乗ってて責任を持って発したことだから。一般論で、普通こうでしょ?って放たれた一言は人を選んで傷つける。(もちろんその一般論に当てはまる人もいるんだろうけど)

これって、自分の夢を語るときもそうだなと感じていて、プロスポーツ選手になりたい!とかアイドルになりたい!とかも【本当に】なりたいのか、【あわよくば】なりたいのかで行動が変わってくるなと。

【本当に】その夢を叶えたいならそれ相応の努力が必要でやるべきこともたくさんあって、多少の苦労はその先にある目標のためなら頑張れるみたいな。(多少の苦を大きなストレスとして溜め込んで自分が潰れてしまうのは良いこととは言えないけど。)
【あわよくば】叶えたい人って、誰かに道筋作ってもらってうまく行ったらラッキーって感じで失敗したら人のせい。
だからね、夢は叶うって言葉もあるけど叶うための努力をし続けられたから叶うんであって、願ったからって叶うわけではないのよって思うの。

面接したり審査員してたりするとみんな夢を持ってくるので、色々やりたいことを伝えてくれる。もちろんみんなのやりたいことは叶えたいと思うし、できる限りチャンスを作れるように動きたいとは思うけど本気で思って動こうとしている人と、今持ってる自分のポテンシャルでそれなりにいいとこまで行けたらいいなでやりたいと言ってる人とじゃ作れるチャンスが違いすぎる。
やりたいって言った責任て発生するんだよー。

だから自分の発する言葉にもちゃんと責任を持ちたいなと思うし、言って周りを動かしたんだから達成しようって思ってる。もちろん色々やってみて失敗することもたくさんある。それは、、、、ごめんなさい。

なんかマイナス思考だから、傷つけたくないで言葉を選びがちだけど元気になってほしいとか良くなってほしいの気持ちから発することができる人でありたいなあと思ったりしております。

ん、ちょっと話逸れたかな。
とにかく、たくさんの言葉と触れ合う機会があるのでいろんなことを想って、ちょっと感じたことを整理したいなと書き始めたので、何いってんの?って思う人もいるかも知れないけど、そんなことを思いながらここまで読んでくれてありがとうございます。あなたはとても忍耐力のある人です。笑

あ、そういえばTwitterでつぶやいていることの殆どはそんなに考えてツイートしていないかもしれなくもないなり。(最近心の声がツイートに漏れすぎてて自重しようと思ってる)


なんか家でPCパチパチしてたら締切に追われてる人みたいでちょっとワクワクしてきちゃったけどこの辺にしておこうかな。

言葉の裏側にある想いって大切ね、と思った私の日記でした。

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