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許せなかった店

自分では変わったと気づかなくても、小さな選択の連なりの先に全然違う自分になっていることがある。自分で選んできたわけだから、後悔もないけれど、以前のように楽しめなくなったものを悲しく思うこともある。

久しぶりに会う友達とランチをした。相手がお店を選んでくれて、とある隠れ家カフェだった。ビルの上に入っているカフェでエレベーターはなかった。その時に、嫌な予感がした。

2人でランチセットを頼み、スープのお椀2つとランチのお皿が乗るとお皿がはみ出るほどにテーブルが小さかった。スープは化学調味料の味。友達のクリームパスタはソースが沸騰してボソボソになってしまっていた。わたしの頼んだお肉のタレも人工的な味がした。

食べ終えて、名物のスイーツと一緒に紅茶を頼んだ。一口飲んで「まっず!!」とびっくり。安い紅茶のティーバックで、なんならそのバック自体もおかしな漂白された素材なんじゃないかと思うほどの味。なのに700円てどういうことだい。

極め付けはその後に起こる。しばらくすると大音量のバースデーソングが突然流れた。花火をつけたケーキが女の子二人組の席に運ばれる。写真を撮り終え、花火が消えるまで音楽は鳴り止まない。会話もできないくらいの音量。HSP的にもだいぶしんどかった。縁もゆかりも無い彼女を祝えと強制されている感じとそもそも苦手な大音量でヘロヘロになった。

有名なスイーツがあって、映えるドリンクがあって、店内も隠れ家チックで、有名なお店なんだろう。若い女の子連れや学生カップルと思われるお客さんが続々と来て店の前に並び出し、頼んでいないのにしれっと店員さんが伝票をテーブルに置いた。回転率を上げたいんだろう。

「大音量でハッピーバースデーを流す店って、まだあるんだな」そう思った直後に、ハッピーバースデーを流す店は昔からずっとあって、なくなったわけでもなく、ただ自分がそういったお店に行かなくなっていたことに気づいた。

わたしだって、学生だった頃にはそういうお店に行ったし、友達の誕生日にサプライズでケーキ出してもらったり、ハッピーバースデーも大音量で流してもらったりした。自分がされたこともある。縁もゆかりもないお店で、誰かのサプライズに遭遇したら空気を読んで手拍子したりしたこともあった。

けどね、もう無理なのだよ。大音量のハッピーバースデーも、みんなでお祝いしようよってムードも、化学調味料で舌のピリピリするスープも、まっずい紅茶も、回転率上げたいことを示すような小さいテーブルも伝票も無理。

わかってる。自分が招かれざる客だってことは。結局そういうお店に行かなければいいってこともわかってる。でも今回は、意図せず訪れることになって、より自分の感覚や好みが鋭敏になったことを体感した。

時間を使うなら、お金を回すなら、気持ちよくいられる場所でゆったりと、心満たされる食事をしたい。人気であることではなく、一人ひとりのお客さんに向き合うことは高級店にしか出来ないことじゃない。

良い店、自分にとって心地よいものを知ってしまったからこそ、許容できないものが増えていくのは仕方のないことかもしれない。好みを確立して、より自分が幸せになる方法を知るためのB面なだけだ。でもちょっと寂しい。

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