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親の顔がチラつく

親の顔がチラつく。
それは親想いとか親孝行とは違う。
意識のどこかに常にいて
わたしを見張っている。

旅行に行けば旅先から
その土地のお酒を送り
父の日、母の日、当然誕生日には
贈り物を贈った。

慌ててamazonで前日に選ぶこともあった。
実家に帰る際もお菓子やお花など
必ず手土産を持参した。

この話をすれば
親想いのいい子だと思われるのだろうが
そんなに美しい話でもない。

親が喜ぶ子供像に
自分自身をずっとずっと
縛り付けてた
だけだ。
何をするにも親がチラつくのだ。

良い子でいなければいけない
記憶のない頃から思い続けていたのだと思う。
親が喜ぶ選択肢を率先して
選ぶ子供だった。

別に親から仕向けられたわけではない。
ただ人一倍空気が読める子供だった。
(まぁ実際読めてたのかはわからないけどね)

大人になるにつれて
その悪癖は抜けつつあったけれど
旅行先からの贈り物などは
無意識に行っていた。

ある日、どうして親に贈るんだっけ?
そもそもこれやりたいことだっけ?
気付いてから愕然とした。
全然やりたいことじゃなかった。

それから、誕生日のプレゼントもやめた。
何も送らないまま当日を迎えて
罪悪感でモヤモヤすることもあった
けれど
やりたくないことをやらない練習になった。

今年もLINEで簡単なメッセージだけ
送るにとどめた。
(それだって今後はやめたって良いのだ)

親の顔がチラつくとき
それはわたし自身が
わたしに呪いをかけてるとき。

親にどう思われるか
親から嫌われないか

そんな隠れ蓑を捨てて
自由に自分の選択に責任を持って
力強く歩いてきたい。

そう、自分でかけてる呪いは
隠れ蓑だし、言い訳だし、 
勝手に踏んでるブレーキ。

魂のレベルで言えば
もっとめちゃくちゃやりたい。
そこを見てあげたい。

親がどう思うかなんて気にせず
自分らしさをぶちかましたい。


そんな2023夏至の所信表明。

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