筆記試験と初めての1発試験

【 1983(昭和58)年1月 20歳 】



 それはそうと、疑問に思われるかもしれないので説明しておくことにする。

『どうしてもっと早く免許を取らないのか?』
『バイトしながらでも取れたでしょ!』

そう、その通りなのである。うまくいけば3万円前後で免許が取れるなら40万円や50万円も貯める前に取っていてもいいわけである。どうせかかる費用だし、ちょっとでも早いほうがミモちゃんとドライブする目標も早く実現できるかもしれない。それに確かに睡眠不足の日々でも3ヶ月前からバイトしているのだから何度か検定試験も受けることも可能だったはずである。でも私はそれを選択しなかった。なぜなら、妥協をしたくなかったからである。
 もし仮に貯金が目標金額の半分、25万円くらいのタイミングで免許をゲットしたとしよう。すると私は早く車が欲しいがために何とかその時点でアレコレ策を弄するかもしれない。その最も考えられる手段がローン。しかしローンとなれば連帯保証人が必要になる。当然学生の身分の私は親にそれを頼むことになるが、実は私の家はお世辞にも裕福とは言えず、家に風呂もなく銭湯を利用する長屋住まい。トイレもボットンタイプ。声を大に貧乏と言う程でもないが、苦労をしながらなんとか私を大学に行かせてくれているのが現状だ。そして車もなければ、両親共に免許も持っていない。そんな私が『車を買うからローンの保証人になってくれ』などと言えるはずもない。それどころか私が車を買うことに理解を示すことなど考えられないし、最悪の場合、私の『ミモちゃんとドライブ』計画の妨害をされてしまう可能性すらある。また、仮に連帯保証人になってもらったとしても、ローン、つまり借金を抱えながらでは今まで以上にバイトをしないとガソリン代や税金といった維持費も賄えない。それではミモちゃんと楽しくドライブする時間なんかないではないか。そうなると次の可能性として、私は超安価で極怪しい激安中古車に手を出してしまい。故障だらけで修理費で首が回らなくなるような事態を招き、予想をはるかに超える後悔をするかもしれない。
 あくまでも予想ではあるが、まず間違いなく、私は免許を取得してしまえば少しでも早く車を買いたくなる。すると判断を誤り色々と失敗する可能性が高い。私は自分の物欲の強さを知るが故にしっかりとお金を貯めてから免許を取ろうと考えたのである。そう、いくら車に乗りたくても免許がなければ不可能だから、それが適切なストッパーになると思ったわけである。
 ただ、現時点では目標にあと10万円足りないにもかかわらず動き出したのは、順調に免許を取得できてもその期間内に10万円を貯めることが可能と確信したからである。
 さて本題に戻る。島根県免許センターで最初にすることは学科試験である。学科試験は全部で2回。これはまず仮免許実技検定を受けるために必要な学科試験だ。まずこれに合格しないと話にならない。まあ、大して難しい試験ではないものの、まったく勉強しないで合格するほど世の中甘くない。私は教本をある人物から譲り受け勉強することにした。その人物なのだが…実はそれが…ミモちゃんなのであった。そう、何を隠そう彼女は私より先に免許をゲットしていたのである。実に腑に落ちないことのようにも思えるが、ミモちゃんは両親に費用を出してもらい地元の自動車学校で免許をゲットしていたのだ。これは、この概ねノンフィクションの物語の中で、主人公の私がヒロインよりも遅れをとった、少々カッコがつかない事実の一つなのである。ミモちゃんをドライブに連れて行こうと我武者羅に頑張る私。その私よりも先に免許を取ったミモちゃん…。なんとも現実は複雑なのであった。
 しかしそれはそれとして、検定料2000円を支払い筆記試験は合格。難関ではないが第一関門を突破。1時間の練習費用と合わせ現段階での免許取得費用は6000円である。
 さて、いよいよ最難関の仮免許実技検定。これは自動車学校でも一発試験でも同様、免許取得における最大の試練である。これさえ合格してしまえば免許はゲットしたも同然。車を買うことを決意した日から考えれば、ついにこの段階にたどり着いたという感があった。私は早速、筆記試験合格の次の日に実技検定を受けることにした。ミモちゃんも応援に来てくれた。私は窓口に赴き事務的な手続きを終える。検定料2000円を支払い実技検定の順番を待つ。
 改めて言うが、私は基本的に現段階で仮免の検定を受ける資格こそあれど、合格できるかどうかは評価することすらおこがましい経験しか持ちあわせていない。なにせ、実際に車に乗って練習したのは4~50分くらいだ。『クランク』、『S字』、『車庫入れ』、『縦列駐車』、『坂道発進』など、これら全部一度もやったことがない。ただ、ミモちゃんにもらった教本を読み『ふーん…なるほどそうすればいいのか…。』と頭で理解しているだけなのだ。…いや…よく考えてみれば…単純に『バック(後進)』すらしたことがない。某RPGゲームに例えるとスライムを2~3匹倒しただけでいきなりボスキャラに挑むようなものだ。いくら『最初の数回は慣れることが目的』とはいえ、世間を舐めていることこの上ない。ただ、同じ島根県免許センターで免許を取得した大学の先輩がたまたま居合わせていた(先輩は大型免許の試験を受けに来ていた)。その先輩にコースの予想や試験官に対する態度の注意点など、ちょっとしたアドバイスをしてもらったことで、私の気持ちは少し楽になった。

 そして検定開始の時間がやって来た。その日の受験生は50人程。4つの列に12~13人が分かれて並び順番を待つ。それぞれの列にその日の担当試験官と使用される車があった。私は5番目だった。そして最初の受験者が呼ばれ担当の試験官の顔が見えた時、私の後ろに並んでいた6番目の男がため息をついた。

「はぁーっ…。ツイてないな…。」

私は思わず振り返り、

「どうかしましたか?」

「あっ、いや…。あの試験官ね…権田さんっていう人なんだけど…あの人一番厳しいって有名なんですよ。」

「えっ…そうなんですか?」

「私は5回受けたんですけど、あの人に3回落とされているんですよ…。」

「そ…それはツイてないですね…。」

「名前からして厳しそうでしょ。」

「はい。確かに…。」

「ところであなたは何度目ですか?」

「今日が初陣です…。」

「初(うい)…。最初が権田さんですか…。お互い頑張りましょう…。」

「はい…善処します…。」

なかなかハードな情報である。しかも現場の生の声である。私のテンションはかなり下がってしまった。そしてあっという間に3人の検定が終わり、私が後部座席に乗り込む順番になった。検定は受験者が運転席、次の受験者が後部座席に乗り込み行われる。私の前、4人目の受験者の表情はすごく硬かった。過度の緊張状態が体中から見て取れた。私より3~4歳年上だったと思うが、気の毒なくらい気が弱そうなタイプだ。しかしその4番目の御仁に頑張ってもらいたいところである。なにせ私には経験が全くない。同じ車に乗り少しでもコースを長く観察できればラッキーである。雰囲気に慣れるのもありがたい。
 ところが無残にもその期待は裏切られた。4番目の受験者は見た通りのダメ夫だったのだ。いきなりスタートでエンストし、踏切では停車線の3mも手前に停まり、窓を開けずに電車の音を確認。そして再発進でまたエンスト。そのすぐ後、ウインカーを出し忘れ右折。そのすぐ後、

 「はい○○さん。不合格です。元の場所に戻ってください。」

…これは誰が見てもアウトである。残念だがこの人は適性がないとしか思えない。と言うより、まず緊張しない訓練を受けるべきであろう。確かにこの一発試験の雰囲気、特に試験官から出ている暗黒面のオーラには受験者の精神を追い込む何かを感じずにはいられない。が、それでもこの人はダメ過ぎた。おかげで私は何も参考になる経験ができなかった。そして、心の準備はまったく整えられないまま、私の名が呼ばた。

「それでは次、玖津木さん。玖津木研吾さん。」

「はい。」

「始めてください。」

「はい。お願いします。」

私は後ろに並ぶ同胞に心の中で敬礼をし、先に戦場に足を踏み入れた。さあ、今度こそ本当に仮免の実技検定、初めての挑戦である。
 先ず車に乗り込む前に、車の前後を目視し異常の有無を確認。後方を注意しながらドアを開け車に乗り込む。シート位置とルームミラーを調整し、指をさし左右のフェンダーミラー(当時ドアミラーはない)を確認。更にサイドブレーキが上がっていることと、シフトレバーがニュートラルになっていることを確認し、その上でクラッチを踏み、キーを回しエンジンを始動させる。まあ本当に『確認』のオンパレードだ。とどのつまり技能検定とは言っても実際には『技能』よりも『確認』の方がチェック項目が多く、それをうっかり忘れずにできるかどうかが重要なのである。

「発進します。」

「はい。どうぞ。」

窓越しに右後方を注意しつつ、右ウインカーを点滅させ、ギアを1速に入れ、アクセルとクラッチを操作しゆっくり右前方に進む。外周路(本線)に入りつつ2速・3速(トップ)とギアを上げて直線で40km/hをクリアする。小さな坂を越え、そして踏切で一時停止。踏切内を目視で安全確認。更に窓を開け演技臭く手を耳に当て異音(警笛など)の有無を確認し再び発進。ここまでは至極順調である。まあ教本を読んでいると基本的には問題ないことである。だが、ここからが本番。私にその技能があるかどうかがまったく未知の世界が目前に迫っていた。
 その第一関門が『クランク』。道路幅が狭い上に直角の曲がり角が2箇所ある障害コース。実際の道路では滅多に出くわさない代物。確かに壁や電柱などの障害物で狭くなった小路はあるが、あのように『誤って進めば即脱輪』というシチュエーションは真っ当な生活環境において基本的にお目にかかれるものではない。例えあっても『そんなところ無理に通らなくても別の道でいいじゃないのか?』と言ってしまいたくなる代物。何度も言うが私は一度も試したことがないし、車の運転自体がまだ1時間を経験していない。だから流石にこの場面では緊張が高まる。頭に入っている情報では『脱輪しない程度に道路の端をゆっくりと進むこと』と『ハンドルを切るタイミングを間違わないようにする』の2つであった(実は『途中で停車してもいいこと』と『少しバックしてやり直してもいいこと』を忘れてしまっていたのだった)。しかし何と言うことだろう。私は初クランクをノーストップで易々とクリアしてしまったのだ。おそらくたまたま勘がバッチリ当たりこのような結果を得たのだろうが、そんなことはもはや関係ない。私の気分はヘリウムガスより軽くなり、緊張感は高揚感へと代わった。そしてそのまま検定は進み、次の大きな難所は『縦列駐車』だった。
 縦列駐車も車体のコントロールという意味ではクランクと同じだが、後進することや道路に対する車体の角度、また駐車スペースへの深さなどを運転者が自分で想像する、いわゆる『加減』の感覚が必要になってくる。女性には特にこの縦列駐車が苦手という人も多い。ただこれも自動車学校では、

『3番目のポールがここに見えたら一旦止まってハンドルを戻して…。』

などと検定を通るための方法を修得することが多く、その通りにしていればいわけだが、一発試験はそうは行かない。なんせ練習をしていないのだからやはり自分の感覚で解決するしかない。そしてその場面…緊張がまた高まってくる…。が、しかし、一度の仕切り直しはあったものの、これまた易々とクリアしてしまった。

『えっ!ホント…? ホントにいいの…?』

と、思わず私自身恐縮してしまった。しかし結果は結果。こうなってしまうと元々調子に乗り易い単純な男だけに、緊張は自信と化し、更に過信にまで昇華してしまった。

『あれっ! もしかしたらこのまま合格?』

などともはや思い上がりも甚だしいレベルだ。だがしかし、やっぱり世間は甘くない。次の『S字カーブ』を過ぎたところで試験官が口を開いた。

「はいここまで。元の場所に戻ってください。」

こうして私の仮免の初挑戦は終了した。流石にお調子者の権化。合格が頭にチラついた直後の不合格裁定というオチだった。とは言え、まずは雰囲気に慣れるくらいの思惑だったので、上々どころか上々々々の出来と言えよう。
 車を降り試験官に挨拶をし会場を出る。試験コースの柵の外ではミモちゃんと先輩が迎えてくれた。ミモちゃんと先輩は、

「すごいじゃないっ!」

「ホントに初めてか?」

「もう、次かその次くらいに合格するんじゃないか。」

などと賛辞の嵐であった。私も煽てられて余計に舞い上がり、

「いやいや…案外…そうかも知れません…ね…。」

などと馬鹿まっしぐらの受け答えをする。ただ、いくらとにかく不合格とは言え天狗になるのも無理はない状況に満足な自分がいた。その後、ミモちゃんを朝日ヶ丘駅に送り、電車に乗る彼女を見送る。私はバイクに跨り出雲に帰る。気分が高揚しているのと肌が痛くなる冷たい風のせいもあり、私は大声で歌いながら西へと走った。

「足ぃ~元にぃ~絡みぃ~つくぅ~…」(ルパン三世のED曲)

アパートに帰り着く前に、本屋に寄り中古車情報誌を買って帰る。もうすっかり免許を取った気分だった。
 
《現段階での免許取得費用は8000円である》


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