バイト始める

【 1982(昭和57)年10月 20歳 】



  さて『車買うぞー!』とはいっても、そうそう簡単に買えるものではない。まして、免許も取らねばならない。いったいいくらかかるのだろうか? いかに30年程前のこととはいえ自動車学校に行けば約20万円程度は考えなくてはならない。その上、中古車の安い部類の車でも、諸経費を含めると、やはり40~50万円。つまり合計…60~70万円。あくまでも約30年前の物価でその金額である。

『あぁ~っはっはっはっはっ。無理じゃーっ!』

 自宅通いで、その上バイト三昧の日々を送っているならともかく…いや、それでも…その金額となると…大変なもの…。私のような貧乏学生にはその金額は天文学的数字にも匹敵するものだ。それでなくても日々の生活費に加え、サークルや学科会の合宿やイベント、コンパ…etc。出て行く金は年中発生する。故に、ちまちま貯めていては学生時代が終わってしまうことは火を見るより明らかである。私は目の前に現れた果てしなく高い壁の存在に、戦う前から負けてしまいそうな気持ちになった。
 でもあの日、小雨の中バイクにギターとミモちゃんを乗せ、ぶっさいくな顔をしながら決心したあの悔しさを忘れるわけにはいかなかった。そして…私は男だ。ならば…男の証を立てなければならない。そしてなにより…私はミモちゃんを助手席に乗せてドライブがしたいのだ。

こうなれば中途半端なことではダメである。

『もう…アレしかない…。』

私は地元の某工場のバイトをする決心を固めた。そこは出雲大学では有名な『禁断』のバイト先、出雲電子。某有名大手電機メーカーの下請けで、電子部品のICチップ等の検査を主な業務としている。30分も働けば『ベテラン』と言われるウルトラ単純作業。24時間交代制でフル稼働している工場で、勤務は日中もあるがその時間帯の時給は大して良くはない。私が投身する時間帯は午後11時から午前7時30分まで。完全なる深夜勤務。時給は900円。ハンバーガーショップなどでは時給400円~450円がスタートラインであった時代だ。どれだけ過酷な仕事かがおわかりいただけるであろう。完全に昼夜反対の生活を送っている人ならば別だが、通常の生活を基本とする者(全日制大学生)は基本的にやってはいけないバイトなのである。
ということで、繰り返すが、大学で真面目に単位を取るつもりがあれば絶対に係わってはならないバイト先…まさにパンドラの箱…いや…虎の穴と表現するべきか…。

 しかし私は超えてはならないラインを超えてしまったのである。

 さて、バイト先を決めたものの、もう一度計画を立ててみる。実はその後の調査(学生間の情報)で自動車学校の費用20万円が大幅に縮小することができることがわかった。詳しいことは後で説明するが、上手くいけば5万円以下で免許をゲットすることが出来る。つまり目標金額は50万円に下がったわけである。ただ下がったとはいえ、50万円はやっぱり気が遠くなるような大金である。それを貯めるには一晩で稼げるのが約7200円として単純計算だと約70日だ。わかってはいるが事実道のりは長い…。少しでも早くミモちゃんとドライブデートするには、やはり少々の無理をしなければならないことに変わりはなかった。
 よくよく思案した挙句、目標達成の期日を4ヶ月以内とし、そのため週に4~5日勤務することにした。

 さて、そうと決まれば行動開始。同じ学科の江本に相談する。以前、江本の口から彼が所属する同じワンゲル部の新藤という男が例のバイトをしていることを聞いたことがあったのだ。しかし相談するや否や江本は、

「本気か?」

「ああ。」

「紹介してもいいけど、後で俺を恨むなよ。」

「ああ、わかってる。頼む。」

「車か?」

 私は小さく頷いた。それを見た江本は私の決意を汲み取ったのか、それ以上何も聞かずその日のうちに新藤を紹介してくれた。
 新藤は中国語学科、ワンゲル部の部長。彼は人気者だがそれは男子学生だけの評価である。性格は良く愛嬌もあるのだが、一目見て感じる不潔な風体が強烈に女子を遠ざけている。髪はボサボサでフケだらけ、顔は中途半端な無精髭、眼鏡は手や皮膚から出たものと思われる汗と油の混合液の層で不気味な色に光り、歯はタバコのヤニで黄色く、そのタバコの湿った何とも形容し難い臭いが服や体から漂っている。正直男でも近くに居たくはない。その新藤が、

「ああ、玖津木君って…イスパの子と付き合ってる…あの…。」

 改めて小さな大学であることを認識せざるを得ない。

「うん。悪いね。よろしく頼む。」
 
「じゃあ、今夜からできる?」

「えっ! まあできるけど。」

「それなら11時10分前くらいに出雲電子の入口の前で。」

「えっ! 今日? いきなり? 面接とかは?」

「必要ないよ。」

「…履歴書は?」

「いらない。いらない。」

「そんなのでいいの?」

「いらない。いらない。」

 如何に恐ろしいバイト先であることがこのやりとりだけでわかってしまう。『やっぱりヤバイかも…。』と思ったが、私の決意は揺るがない。もう後には引けない。何が何でも車を買って、ミモちゃんとドライブするのだ。そして、その日の午後、私はアルバイトのことをミモちゃんに報告することにした。

 大学の敷地内にポツンと古いコテージがある。噂ではこの場所が大学になる前からあるらしく当事の土地の所有者が建てということだ。そこにはグランドピアノがあって、学生課に申し込めば無料で弾かせてもらうことができた。ミモちゃんは授業が休講になったときなど、時間が有れば度々それを利用していた。もちろんコンテストがどうのこうのというレベルではないが、ミモちゃんはなかなか上手で、それを聞きながら私は床に寝そべっていたののだ。
 ひとしきりレパートリーがおわったところで、私は話しかけた。

「新しいバイト始める。」

「えっ! ふ~ん。何するの?」

「出雲電子。」

「えっ! 出雲電子って…どうして出雲電子?」

「欲しい物があるから。」

「だからって…出雲電子…って…。欲しいものって…?」

「今は秘密。」

「どうして? 教えてよ。」

「ひ み つ。」

「もう! でも…出雲電子って…大丈夫なの?」

「うん。ある程度お金貯まったら辞めるから。ちょっとの我慢だし。」

「でも…出雲電子って…やっぱり心配だし…。」

「そんなに無理しないから…ねっ。」

「ほんと?」

「ほんと。大丈夫だから。」

「ちゃんと授業には出てよ。」

「うん。約束する。」

 やはりミモちゃんは心配なようだった。因みに『授業に出てよ』っていうのは、私の留年を気にしているからである。留年の多い大学に、深夜にする禁断のバイト。その最悪のコラボレーションに彼氏が挑むことに無関心ではいられないのは当然のことであった。ただ、私の決意を汲み取ったのかミモちゃんはそれ以上何も言わなかった。でもどうしても心配が抜け切らないのかちょっと拗ねたような態度である。その後、ミモちゃんの機嫌を戻すことは大変だった。
 ピアノのコテージを出て、残りの授業も終わりいつものように2人でアパートに行く。ミモちゃんの顔はちょっと微妙だった。やはりまだ機嫌はよくないようだ。私は一生懸命ミモちゃんの機嫌をとり、なんとか納得をさせようとしたが、キスもさせてくれない…。

「絶対大丈夫だから…。ねっ! ねっ!」
「お願い機嫌直して…。」

そうしているうちになんとかミモちゃんは機嫌を取り戻してくれた。やがて彼女を駅に送り、少し休めばあっという間に午後10時半。少し早いが、私はバイクに乗り目的地に向かった。いざ出雲電子へ。

 バイクで約5分。道を選べば信号はたった1箇所。改めて『虎の穴』が近所にあったことを認識する。そして15分程経った10時50分頃、新藤が現われた。と同時に出雲電子の出入口からぞろぞろと前の時間帯勤務者が仕事を終えて出てきた。何人か知っている顔がある。その中にフランス語学科の2つ上の先輩が1人居た。先輩は私の顔を見て少し驚きそしてこう言った。

「いつから?」

「今日が初めてです。」

「そうか、できるだけ早く抜けろよ…。」

「はい。ありがとうございます…。」

ちなみにその先輩は、以前午後11時からの深夜時間帯に入っていたそうだ。そして先輩は今、4回生ながら2回生の私と一緒に授業を受けている。

 新藤にエスコートされ事務所に行くのかと思いきや、いきなり作業場に連れて行かれる。そこには既に何人かのバイトと深夜担当の出雲電子社員岡田さんがいた。岡田さんは推定年齢32歳くらい、馬ではなく誰が見ても納得する程のロバ顔で気さくな人だった。なんと『虎の穴』には『ロバの支配者』が君臨していたのだった。また、物腰も柔らかく、私の緊張感は『ロバの支配者』が醸し出す雰囲気にすっかり溶かされていた。そして新藤が私を紹介する。

「おはようございます。新しい希望者連れてきました。」

「おはよう。そうか、名前は?」

「玖津木です。」

「じゃあよろしくね。仕事は新藤君に教えてもらって。」

「あっ、はい。よろしくお願いします。」

「新藤君。それじゃあ玖津木君と今日は5番してくれるかな。」

「はい。わかりました。」

こうして私は晴れて『虎の穴』出雲電子のバイトを始めたのだった。履歴書も面接もなし。後の休憩時間に学科名と名前を差し出されたメモ用紙に書いだけで事務手続きも終了。呆気にとられることばかりだ。

 さて早速仕事を始める。仕事はIC・LSIの検査。いわゆるマイクロプロセッサ。日本語では集積回路と呼ばれる家電品等に使用される電子部品だ。某大手電機メーカーの作ったものを専用の機械と人間の目で検査する。ここの検査で良品だけが電気製品の組立工場に送られることになる。そして作業者にとって一番大事なことが『不良品を良品の中に紛れ込ませない』ことである。例えばエアコン工場で不良品が使用され組み立てられたとする。そして正常に動くかどうか検査が行われる。すると当然不良品なので温度、風力、その他各設定が正常に動作しない。結局そのエアコンは分解されICを含む基盤を交換し正常な商品となり出荷されることになる。もう、お判りだと思うがエアコン工場にとってはかなり面倒な作業を強いられることになる。
 そういうこともあって、不良品を良品としてメーカー送った出雲電子はその都度ペナルティを受けることになる。なので出雲電子ではすべてのICに対しバイトの誰が検査をしたものかが管理されている。ミスをした者はその分バイト代をキッチリ減給される。
 仕事は基本的に2人1組で行うことが多い。そして仕事中の私語は禁止どころか大歓迎となっている。2人は仕事そのものを協力するのではなく、ただ単に作業台に検査機が2台あるので並んで個別に作業をするだけである。ただ深夜の上、ウルトラ単純作業なので睡魔のフォースが半端ではない。そのためワザと2人ずつが組み、その会話を居眠り対策にしている。

 さて仕事の手順だが、まず、作業台に着く前に棚からその日に担当するICがたっぷり入った容器と、ゴム製の薄手の指サックが入った容器を取る。指サックは2~30個くらいはあるだろうか? 作業中に足らなくなればまた補充する。途中、休憩やトイレに行った際、その都度取り替えることになるので一晩でかなり消費するわけだ。それを持って席につくと、作業台の脚から出ているアース用電線を靴下と足の間に挟みこむ。そして先程の指サックを左右の親指、人差指、中指に装着する。これで準備完了。何と言ってもデリケートな電子部品。人間の静電気には十分注意をしなければならない。
 1人が担当する検査機は2~3台。それぞれの検査機にはICを乗せる装置がある。その装置には観音開きするロック付き蝶番型のフタがあり、ICを乗せたらパチンと音が鳴るまでしっかりロックする。ロックしたら装置横にあるボタンを押す。そうすると検査機のディスプレイに数値が表示される。数値はだんだん上がってゆき、一定のレベルを超えれば『ピー』っと確認音が鳴る。それが良品の合図である。装置のフタを開きその良品を取り出し、プラスティック製のパレットに丁寧に並べてゆく。一方、ある程度時間が経っても確認音が鳴らないものは不良品として別の容器に投げ込む。
 これが仕事内容だ。もちろん他に少々細かい作業が入る場合はあるが、基本的にはこれだけだ。まったく筋力も必要なく、テクニックもいらない。本当に単純な仕事であった。
 初日ということもあり体力も眠気も問題なかったが、やはり休憩時間が来るのはありがたかった。午後11時にスタートし2時間後の深夜1時に5分、3時には20分、そして5時に5分の計30分。仕事中は手と口くらいしか動かすことがないので軽くストレッチすることがとても心地よい。ところで3時だけが20分というのがミソである。さすがに深夜に8時間強、単純作業の連続では5分間の休憩が2、3度あったところで作業効率を維持することは難しい。その上若さが暴走するレベルの男子学生がてんこ盛りだ。当然、腹が減ってくる。至極当たり前の流れでこの20分間は『夜食タイム』に充てられていた。
 その『夜食タイム』のメニューなのだが、会社からの支給はない。なので弁当やパンを持ってくる輩もいるが、一人暮らしの男子学生はそんなに気が利いたことなどできようもない。だいたい今(2012年)とは違いコンビニや深夜営業のスーパーなど田舎では皆無であった。そういった現状をふまえてか、深夜3時の5分位前になるとカップ麺の箱を持って社員の岡田さんがバイト達の作業場を回る。

「ラーメンいるかぁ~? ラ~メン。」

それが独特の抑揚で情緒的でなんとも愉快だった。京都には『ロバのパン屋』という有名な移動販売があったが、出雲電子の工場には『ロバ顔のカップラーメン屋』が深夜営業していた。(尚、30年以上経った今でも私の脳ミソの奥深い所からその声とテンポ、情景は消え去らない。)あの名調子が聞こえてきたら

『あぁ…やっと夜食が食べられる…。』

と思ったものだ。ただ、この『ロバ顔のカップラーメン屋』は重大な過ちを犯していた。

『ラーメン』『ラーメン』

と連呼しておきながら、必ずと言っていい程商品は『日清のキツネどん兵衛』だった。確かに1ヶ月に一度くらいは『ラーメン』系の商品もあったが、それは極々稀なことであった。若く正義感の強かった私は何度も『ロバ顔のカップラーメン屋』にクレームを投げかけようと試みたが、ついついあの名調子とゆるキャラの顔の前に志を果たすことは叶わなかった。あの時、

『もしJAROが存在していたのならば…。』

と今でも思うことがある。そうこうしていると午前7時半。初日の『虎の穴』での労働は無事終了したのであった。

 次の日(当日なのだが)、授業は午後から。睡眠時間が不十分ながら大学へ行く。少し眠かったが真面目に授業を受け、いつもの通りミモちゃんとアパートに帰る。私がバイト初日のことを話すとミモちゃんが、

「ねぇ…いったい何のためにそこまでするの?」

「もうちょっと待ってて…お願い。」

「でも…ねぇ…。」

「もうちょっと…あとで…。」

「帰るまでに教えてくれる…?」

「う~ん…。」

「お願い…。」(ちょっと拗ねてきた)

「わかった。わかった。」

「絶対よ。」

「うん。」

でも結局私は話さなかった。さすがにミモちゃんは拗ねてしまった。だからいつもならもう少し遅くなってからなのに、その日のミモちゃんは陽が明るいうちに帰った。
 一畑電鉄出雲大社駅にミモちゃんを送る。私は手を振って見送るがミモちゃんは無口で目を合わせず電車に乗った。そのまま電車は発車した。私はバイクに乗りアパートに戻った。駐輪場にバイクを停めながら考えた。

『いくらなんでも可哀想かも…。』
『どのみち、隠し通せることでもないし…。』

っと思った刹那。私はバイクに跨り東へ向かった。出雲大社駅からミモちゃんの松江温泉駅までの所要時間は約1時間。アパートから松江温泉駅への距離は約40km弱。時速40kmアベレージで同じく約1時間。

『間に合う!』

途中、平田市駅(現:雲州平田駅)辺りで少々信号にかかるが、そのエリアを過ぎればバイクの方が速いはずだ。私はバイクのガソリンがほぼ満タンなことを確認し東へと向かった。予想通りというか、やっぱりそこは田舎町ゆえにバイクはスムーズに国道431号線を東に突き進んだ。そして約40分後、宍道湖が右眼前に大きく開けた場所から3km程の津ノ森駅の手前で電車に追いつくことが出来た。背中にオレンジ色の夕陽を浴びながら私は電車に向かって叫んだ。

「ミモーッ!」
「ミモーッ!」

「ミモーッ!」

とはいってもやはり無理がある。走行中の電車に聞こえるはずもない。しかしチャンスはすぐに訪れた。電車が津ノ森駅で停車している時に叫んだ声がミモちゃんに届いた。降車することはタイミング上無理であったが、再び発車した電車の窓を開けミモちゃんが、

「研ちゃん。危ないよぉーっ?」

っと叫んだ。私は、

「車ぁーっ!」
「車を買うぅーっ!」

「えぇーっ? 何ぃーっ?」

「車ぁーっ! 2人でドライブしたいぃーっ!」

「馬鹿ぁーっ! 次の駅で降りるぅーっ!」

 次の高ノ宮駅は1km程。そこでミモちゃんは降車した。バイクに跨ったままの私に近づくと、ミモちゃんは私の頭を抱えるように抱きついて…そのまましばらく動かなかった。
 私たちは駅のすぐ側にある宍道湖に突き出た小さな突堤(宍道湖の船着場)に座った。何故だか偶然が重なる。その日も秋の夕陽がとても綺麗だった。静かな湖面を前に大きな開放感を得た私は穏やかな気持ちになった。そして車を買う決心をしたこととその計画をミモちゃんに話した。するとミモちゃんは、

「なんとなくそうだろうと思ってた…。」
「うれしいけど…無理しないで…。」

「うん。でも決めたから。絶対ドライブ連れて行く。」

「わかった…。私も手伝えることがあったらするね。」

「じゃあ、心理学(一般教養)のレポートお願いします。」

「え~っ! そういうこと…?」

「あっ、ダメ?」

「もう…仕方ないんだから…。」

「ありがとう。さっきはゴメンネ。」

「ううん…私も…。」

「しばらく待っててね。」

「うん。エスコートされる練習しておく。」

 30分程の短い時間だったが、私たちは幸せな気持ちをいっぱいにして、その日を終えることが出来た。ただし…あと数時間後には『ロバの穴』に行かねばならない。
 暫しアパートで休憩した後、私は2日目のバイトに向かった。それにしても何であろう。たった1日しか経過していないのにもかかわらず、私はすっかり『ロバの穴』のコミュニティに馴染んでいた。『30分でベテラン』という仕事内容もさることながら、その驚異的なアットホーム感はただ事ではない。ある意味、この環境さえも危険なバイト先の正体なのかも知れないと思えてならない。げに恐ろしや『ロバの穴』。
 そして仕事といえばもちろん昨日と同じ。私はまた、新藤とペアを組んだ。私は緊張の度合いが緩んだためか、昨日より少々眠気を感じでいた。私はそれを払拭するように積極的に新藤に話しかけた。やがて会話は自然と他のメンバーのこととなった。それからは概ね私が新藤の話を聞くことになった。
 深夜この工場で働く者は、社員が責任者の岡田さんと17歳という若い西原さん。学生アルバイトが約10人。そして30代前半と思われる夫婦のような怪しげな2人。この計14~15人だった。
 まずはこの出雲電子の社員でありロバ顔的支配者である岡田さん。性格はこれまでの通り温厚で感情の起伏があまりなく実に淡々と仕事をしている。私生活のことは謎であるが、ただ、噂によるとお見合いは10回を超える程重ねているらしく、そのすべてで相手側からお断りをいただいているそうだ。だから結婚の話題はNGとなっている。
 次は同じく出雲電子の社員、若干17歳の西原さん。中学卒業後、高校に進学せずにこの工場で働いている。どうやら家庭の事情とかで就職したわけではないそうで、本人曰く『勉強嫌いだから高校は行かなかった』ということらしい。明るく気のいい兄(アン)ちゃんだが、必ずといっていいほど話題はナンパとその武勇伝。『今月は何人とホテルに行った』というような自慢話が多く、よくバイト仲間内で彼の将来を心配したものだ。
 そして謎の夫婦(?)。2人とも社員ではなくアルバイト。学生連中は私服なのだが、彼等は工場から支給されているらしい作業着を着ている。少なくとも5年以上は勤続していて、基本的に学生とは接触をせず自分たちの世界を作り上げ、学生バイトを寄せ付けない強固なシールドを自分たちの周囲に張り巡らせている。外見は『地味』の一言。如何に2.5流大学とはいえ未来に希望を抱く学生たちにとっては正直見たくないタイプの大人の姿であった。因みにこの夫婦。後々とんでもない光景を私たちに見せてくれることになる。それはまたその時に書くことにする。
 そして最後に学生たち。私を含めその時点で10人。3人は部活費や生活費の捻出。後7人(私を含め)の目的は車だった。彼らも私と同じように親の車、親の援助での免許取得はかなわず、自分で稼ぎ車をゲットするために『ロバの穴』に入った、言わば同志であった。
 ところで、その中には既に車を購入している者もいた。同じ学年のインドネシア語科の吉岡という男だ。彼は毎夜のごとくバイトに励み、ここにいる誰よりも早く夢を実現したのであった。ただ、当然その無理が祟り1回生から留年してしまったが、念願の車を買い他の面々から羨望と祝福を受けたのだった。私としても同じ目的でここにいるわけなので、彼の努力と栄光に心から拍手を送りたいところだ。とは言え、購入時に一括現金払いとはいかずローンを組んでいたらしい。またガソリン代などが必要だったため彼はバイトは続けていたのだ。

 しかし…彼には悲惨な運命が待っていた…。実は今、彼は車を所有していないのである…。

 彼は車を購入後、とにかくその車を大事にした。もちろん中古車だったが毎日のように洗車をし、3日毎にワックスかけた。授業も程々に、暇そうな友人を見つけてはドライブに同行させ、その距離は1日に100kmを越えていたそうだ。誇らしげに悦に浸り、ドライブ中は彼のニヤケる表情が緩むことはなかったそうだ。そういう日々が約1ヶ月間ほぼ毎日のように続いた。そして悪夢の日がやってきた。

『ガッシャーン!』『ボグゥォーン!』

 彼の愛する車は誰もいない山間部のカーブを曲がり切れず、岩にぶつかり大破したのだった。しかも即廃車レベル。
 単純にスピードの出し過ぎ。幸い自分と同乗者に怪我はなかった。また、道路から外れて止まったため他の通行者の邪魔にもならず、警察にも最低限のお世話になっただけで済んだらしい。
 なんとも悲しい結果である…。怪我人がいなかったのは不幸中の幸いだが、彼の気持ちを考えると言葉が思いつかない。なんにせよ、彼は事故処理にかかった費用と消えてなくなった車のローンを支払うためにバイトを続けているのだった。それにしても少々有頂天になっていたかもしれないが、神はあまりにも吉岡に厳しいのではないか? 彼から車を奪うだけでも相当可哀想なことなのに、借金だけを残すなどとは…。彼の本当の笑顔をそれ以降見た者はいないそうだ。
 余談だが、事故の翌日、事故処理の手配のため現場まで吉岡を車で連れて行った彼の学科の先輩は、クレーン車のオペレーターと話し合っている吉岡の目の前で、ポンプを手に「いいよな?」と一言発し、大破した吉岡の車に残っていたガソリンを黙々と自分の車に移していたそうである。実はその先輩とは私の所属するテニスサークルの人であった。『ハイエナ』のごとき所業。あの先輩には気を許してはならないと思った。
 さて、あれこれ話しているうちにバイト2日目も無事終了。明日(今日)は1時限から専門課程の授業がある。少しだが仮眠して大学に行かなくてはならない。やっぱりなかなかに辛い仕事だ。


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