前田と山本

【 1982(昭和57)年11月 20歳 】



 翌日の土曜の夜、前田はやって来た。背が高く顔もでかい。目や鼻、口の造りも大きく濃い顔立ち。それでいて人懐っこく明るい性格。どこへ行っても人気者で女の子にもそこそこモテる。現在も交友がある小学校5年生からの親友である。前田は授業のカリキュラムに余裕があるらしく、冬休み前のこの時期でも週3日くらいは出雲電子でバイトに入れるらしい。連日バイトの日は私のアパートに泊まるが、彼は中型バイクを持っていて、米子の自宅から通う事も問題ない。
 やがて夜の10時45分。私は前田を連れ『ロバの穴』(出雲電子)に出勤。前もってさんざん前田には話しておいたが、やはり彼もそのアバウト加減に驚いていた。そして彼も30分でベテランになった。
 朝になり勤務は終了。2人でアパートに戻る。今日は日曜日で授業はもちろん、特に予定も無い。前田と私は熟睡した。目が覚めると夕方の6時過ぎ。山陰の初冬は日暮れが早い。天気も曇りがちで既に外は暗かった。やがて前田が目をこすりながら言った。

「おーいクッキー(小中学校時代の私のあだ名)、腹減ったー。」

「ああ…。何か作るか。」

っと私は炊飯器に冷飯が残っているのを確認し、冷蔵庫からケチャップ、そして段ボールから玉ネギを取り出し、慣れた手順で調理を始めた。そして数分後、フライパンいっぱいに色だけが鮮やかな料理が完成する。

「鶏なしのチキンライス完成ーっ!」

「おおおっ!」

「感謝して食いやがれーっ!」

「感謝するするするぅーっ!」

本当に玉ネギの微塵切りとケチャップだけの炒め飯。フライパンのままスプーンで男が向かい合ってガツガツ飲み込むように食う。傍らには水道水。茶やコーラなんかなかった。でもそれが異常なまでに旨かった。

「おいクッキー。これメッチャ旨い。なんでお前がカワイイ女の子じゃないんだ。そうだったら嫁にしてやるのに。」

「アホ。俺がカワイイ女だったらお前とは付き合わんわ。」

その後、前田が私のアパートに来たときは、幾度となくこの『鶏なしチキンライス』を食った。本来料理をしない前田も、飯を炊きマメに調理をした。まぎれもまくこれは、学生時代の2人共通の輝く貧乏飯だった。とは言え、たまには冷や飯さえもない時もある。そういう日だった。

「おーい。どうする? 何か食いに行くか?」

「何がある?」

「安い定食屋に美味い鯨カツがあるぞ。」

「おお、行こう行こう。」

ところがである。その気になり服を着て外に出た途端に、

『ザーッ。』

強めの雨が容赦なく降ってきた。まだ、寝起きの2人。頭がボーッとしたまま立っていたら、

『プッップゥーッ。』

車のクラクションが鳴り響く。それは同じアパートに住む同回生の山本の車だった。

 山本は中国語学科、九州某県の離島の出身。普段は気のいい男だが田舎者コンプレックスが強く、場合によっては洒落の通じないタイプ。服装も当時流行っていたアイビールック。しかし髪型やメガネが残念で結局余計にダサい雰囲気になっていた。性格は強度の生真面目。そのせいか融通が利かないことが多く、人前でも空気を読まず不満気な表情を簡単にお披露目する。ちょっと扱いが難しく、とにかく面倒なところがある。繰り返すが何もなければ気さくな男である。ただ、残念なことが多過ぎる男なのだ。同じアパートであることは勿論だが、たまたま共通の友人がいたこともあり、程々の交流があった。

「おーい玖津木、どうかしたのか?」

「ああ、めし食いに行こうと思ったら雨が…。」

「それなら俺も行くから乗ってくか?」

「おお助かる。ツレもいるけどいいか?」

「OK! OK!」

早速山本の車に乗り定食屋へ急ぐ。私はそれぞれを紹介した。山本は気さくな状態だったのでなごやかに会話は進んだ。
 ところでこの山本の車は本田技研工業(ホンダ)のライフ。色は黄。軽自動車が360cc時代のものだ。とにかくコンパクトで現在の車と比べると呆気に取られるような工夫があった。その中でも私が一番驚いたのはウィンドウォッシャー液の噴出装置だ。その当時(現在でも)の車で一般的なものはスイッチを入れるとモーターによりポンプが動作し液体を噴出するというもの。つまりは電気仕掛けというものだ。だが、この車にはそんなものはない。ハンドル右下にあるスイッチは柔らかいゴム製で、それを押せばその圧力そのもので液体が噴出されるのだ。だからある程度勢いよく噴出させるには、それなりに勢いよく押す必要があるのである。おそらくこの装置において、これほど単純なものはないであろう。とにかく自由な発想がそのまま製品になったような面白い車であった。デザインもなんとも愛嬌がある車だった。山本はこれを兄から譲り受けたそうで、先の夏休みに帰省した際そのまま2日かけて出雲まで乗ってきたそうだ。どちらにせよ、こんな風に身内から車をゲットできるのは羨ましい限りだ。しかし…こんな車があるにもかかわらず山本に彼女はいなかった。やはり残念すぎる性格だと車というアドバンテージも意味がない。
 定食屋で食事を済ませ帰路に着く。それにしても毎回満足感のある大きな鯨カツである。当時は牛肉や豚肉より鯨のほうが安かった。だから学生向けの安くて大盛りの定食には鯨はとても重宝されていたのだ。世の中様々な意見があるのは承知しているが、私としては現在でもあの懐かしい味を気軽に楽しめることが日本人として望ましいと思っている。
 アパートに戻りしばし雑談をする。主に車と山本の田舎、それに前田の大学の話だった。その時の前田は山本の残念な部分をまだ知らなかった。


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