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2022.04.17

手当てに使うと決めた10年間の内、丸2年が過ぎた。
30の年は愛について気づきを得て、怪我も病も得た。居る場所を求め京都に戻り、10年ぶりに接客業を始めた。31の年は暮らしが気づきと実践の場となった。愛を手渡すことと言祝ぎが仕事となり、身体の風通しが随分良くなった。自分を使うこと、あるいは何らかのお使いを託され、用いられることのよろこびを知った。

言祝ぎとは別に、書きたいものがある。
光のこと。一生を貫く光。どうして肉体をもってこの世を生きてゆかねばならないのか。眼に映る他者や事象はわたしに何を教えているのか。そうした降る愛に気づき今の自分が保たれるだけの確かさを得たとき、わたしというものに奥行きが生まれた。生まれたよろこびと可能性のまばゆさは、この世の心象を鮮やかに塗り替えてゆくほどだった。わたしにとっては、気づくことが手当てのはじまりだったのだ。
今はまだこんな風にぼんやりとしか書けないけれど、もっとちゃんと言葉にしたい。手段を教えたいわけではなく、この世に散りばめられている「ほんとうのこと」の欠片として働くものを書き残したい。これは10年なんかでは終わらないとわかっているので、長く、力の限り取り組んでいこうと思っている。

そんなことを思っていたときに、わかりたいことが増えてしまった。
死ぬまでにどうしてもわかりたい。そして、光のこととして書きたい。
ぜんぶ、行き着くところはひとつだとして、あらゆる言葉が同じ源を指し示しているとして、どんな風に言葉にしたら誰も彼も抱きしめられるだろう。そもそも「言葉」はそんなやさしさを持ち得ているだろうか。書くことで叶えられることかどうかも正直わからない。恐らくこれまでも多くのひとが目指してきたある地点を、生きているあいだは目指すのだろう。その地点を他の言葉で言い換えるならきっと「平和」だ。わたしたちを隔てる言葉を、言葉で越えていくという試みに、わたしは生きてみたい。

やりたいことだけがあって、この一生は目的のために賭けられる資源のようなものだった。
何も残さなくてもいいし、人生そのもので絵を描くつもりはない。やったことだけがやったこととしてわたしに還るだけ。それだけで十分だ。
そう思っていたけれど、あたらしいお使いのメモを渡されたような気がしているこの日々は驚きに満ち、毎日がたのしい。起こることだけが起こり、今思えばあれもこれも考えても仕方がないことだった。きっとここにいることもそのようなことで、ああだけど生きれば生きるほどにいろんな抱擁を覚えたいと願ってしまう。

32になりました。
生きていることをますます愛してゆきます。
わからなさや書けなさに弱りながらも、ここにある愛を心から頼ることができますように。

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