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もしもここにいられない気がしてくるしかったら

年末年始について書いた一連のツイートについて、30日に会ったひとや話をしたひとたちに詳細を尋ねてもらうことが続き、ひとりひとりへ答えていく中でやはり言葉の背景を話すことが必要だと感じました。書きますね。

年末年始というひとときが大事なひとたちと過ごすかけがえのない時間だという方もたくさんいると思います。ちなみに十代まではわたしも大晦日は家族でだらだらとおやつを食べながら夜中のテレビを見たり、元旦はおせち料理を食べて初詣に行ったり、そんな風にすごしていました。
ひとり暮らしをはじめて、実家が解散してからは、この時間をどうすごしたらいいか試されている緊張感があります。自分の席を探さないといけない。友人と初日の出を見る旅をしたり、遅くまで話し込んだり、たのしい年越しもあったけれど、それは毎年約束されているわけではなく、自分の席は自分で見つけないといけない。
昨日友人と話していて、自分の一番暗い元旦を思い出しました。
塞ぎこんだ自分を連れて曇天の淀川沿いを8km歩いてみたけれど、いいことはひとつも浮かばず、誰ともすれ違わない河川敷の隅で「ここで死んでいても誰にも見つからないだろうなあ」と思い、それから「それは自分の部屋でも変わらないなあ」と8kmの道を引き返して部屋に帰りました。2015年、まだ散歩がたのしいとも思っていなかった。たぶんただ誰かと一緒にいたかっただけなのに、そう願っていることを認めることすらくるしくてできなかった。
あんな思いをするならば自室で無理やり本でも読んだほうがいい。読めないならば寝ていればよかった。わたしはもう絶対に自分をあんな目に遭わせたくない。絶対にだ。

今年3月から京都のシェアハウスに暮らしています。
同居人は帰省したりそれぞれ思い思いに過ごしているのですが、「家」で年越しをするひとが何人かいることがわかって、なんとなく安心していました。加えて向き合いたい仕事がいくつかあったので年末年始はただのまとまった休日として有り難く思ってさえいました。ここ最近の詩作や本づくりの仕事は常に「誰か」の気配と一緒にあることなので、もしもひとりで過ごすことになっても大丈夫な気さえしていたかもしれません。かもしれませんというのは、ほんとうにただ仕事を納めたいという思いが大きくて、それ以外のことは「それどころじゃない」というのが本当のところでした。

友人が書いたツイート(今はもう消えてしまったのできちんと引用できないのですが、年末年始に死にたくなるひとについてふれていたと記憶しています)に、これまで年末年始に感じてきた「この世のどこにも自分の席がない」という感覚に対して未だに対処法を見つけられていないことを思い出しました。シェアハウスに暮らしているから大丈夫になったのか、忙しくしているから気にならなくなったのか、だとしたら「そうしていさえすれば大丈夫、それが失われたら大丈夫じゃなくなる」という答えになってしまう。ほんとうにそうなのか?

夜中、自分がどこでどんな風に居られたら一番うれしいだろうって考えていました。お正月らしいことがなにひとつなくても、自分が自分の席にいるだけで大丈夫だということを感じたい。たったひとりでも居ることをゆるされる空間で、すこしだけ安心したい。非日常が去るまででいいから、大丈夫がたくさんほしい。
コロナが落ち着いてきた最近はシェアハウスに客人を招くこともできて、リビングにはこたつがある。自分は人見知りするし大したおもてなしもできないけれど、大丈夫はたくさんあったほうがいい。
「もしもここにいられない気がしてくるしかったらうちにごはん食べにきてください。」
2015年のわたしが読んでいたら、京都駅まで来てくれただろうか。勇気は出ないかもしれないけれど、もしかしたら「いいね」くらい押してくれるかもしれない。

この世のどこにも自分の席がないというのは、自分が自分の席に着いていることとふたつでひとつの日常的な事実だ。「年末年始がなんだ、クリスマスがなんだ、席なんていつだってここにあるといえばあるし、ないといえばないのだ。そんな風に言えるようになれたらいいんだろうか」そう言うと、「そんな人間離れしたひとにならないで」と友人は笑ってくれた。仙人にでもなるのか、と。
この風は、この寒さは、ここにひととして生きていることに付いてくる。わたしだけではなく、あなただけでもない。だから、どこにいたって囲めるおでんを思って。大丈夫じゃなくても、どうにか持ち堪えたら、散歩へゆこう。今は散歩のたのしさがわかるようになったから、歩きながら話そう。

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