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理解の進捗

 まず、私たちはわかり合えなくていい。
 私がひとりで信じ頼ってきたもののこと、誰ひとりわからなくてもいい。どんなに近しくてもわかり合えなければいけないことはない。わかり合えなさを力任せに否定することはとても簡単だ。わかりたいのにわからないとき、わかってほしいのにわかってもらえないとき、くるしく感じてしまう私たちは「わかり合えないこと」に耐えられない。わかり合えない私たちでも一緒にたのしく過ごすことはできる。思いに共感できることもある。また会いたいと思ったりする。それでも、私たちはわかり合えない。わかり合えないけれど、それがくるしくないから私はあなたと一緒にいる。

 心は目に見えない、命も目に見えない。生きていることはふしぎなことだ。心の痛みが深刻になると体も痛み始める。これは習ったことではなく、私が感じたこと。この星に肉体を持って生まれてくることに憧れた記憶がある。これは誰かが書いたことではなく、私が感じたこと。わかり合えなさを許せない私たちをすでに許しているおおきな存在がいる。これも、私が感じたこと。ここに生きている間の歓びは死後にはなく、しかし死ぬことは恐ろしいことではない。これは、私が理解していること。いや、想像していることだとあなたは言うだろうか。私が信じていることは誰にも覆すことはできない。他者が訪れることのできない場所が自分の内側にあることに気づいたのは小学生の頃だった。わかり合えなくても、嫌われても、陰口を言われても、無視をされても、傷つけられても、そこにあるものは絶対に奪われない。俯く私に差しているように思えた光。友だちだった樹木。死んだ後の方が親しく思える愛おしい人たち。もう二度と会うことはないかもしれないけれど、この星であのとき会えることがずっと前から決まっていたと思える大切な人たち。私はそれらを守る場所を内側に持っている。それらに守られている。
 私は、私以外にとっては取るに足りないもの、信じようのないこと、決して理解されないことが自分を生かしてきたのだと知っている。だから想像する。私には想像もつかないことや、信じようもなく、理解もできないことが、あなたを生かしてきたという事実を、できるかぎりの力で想像する。

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