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「庭に立つ、庭に転がる」より一部

どんな会社や組織も、社会と繋がっているその手が冷えないようにと願っていることを知っている。願い続けて温まりたいのに、健全な願いを持ち続けることの難しさも知っている。どうか、みんな、己が手を温めてからにしてください。
手の冷たさを知っている。それだけで十二分だと思う。何にも属していないことのあてどなさ、それよりも己が手の温かさの先を求めよう。たった一人、手を握ればわかる。わかることでもう一度、ものを作れるから。
花の名前を忘れているときは、花に名前を忘れられているときだという詩を書いたことがある。時の止まった面影を見かけてしまう度、忘れてくれたときに忘れられるならどんなにいいかと思う。(そして、到底忘れてはくれない人を忘れられないことは理にかなっているのではないかと独りごちる)
今に生きることは、共に在れないことへの長い長い相互負担であり、唯一共にできることだ。手を貸し合うことは無くても、ここをよくしたいと思い生きることは、だれかへやさしくしたいと願い生きることは、あなたにも届くはずだろう。あなたもどこかでそんな気がしたなら、私にだって届くだろう。
風がやさしいとき、日なたで暖をとるとき、よく眠れた夜、洗濯物がなびく晴れた日。そうだよ。言葉に縋らなくても私たちなら。

『観光記』(2020)収録

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