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逃げてきた

19時に「おまいり」があると言われたのは今日の昼頃で、ずいぶん急だった。「おまいり」と聞いて、最初はピンと来なかった。どこかへ行くのか、それとも誰かが家に来るのか。父に尋ねると、お盆だから家にお坊さんが来るらしい。こちらから参らなくても「おまいり」なんだなあと、どうでもいいことを考えた。

毎年来ていたのだろうか。この時間は、部活やらバイトやらで家にいない日のほうが多かったから、知らなかった。それとも、今年がなにかの節目の年なんだろうか。

母が死んで何年になるか、分からないなあと思った。たしかこの年の、たしかこの時期だった気がするという程度の記憶はあるのだが、それも正確ではない。周辺の記憶が、断片的だし、ぼんやりしている。別に周辺に限らないのかもしれない。過去のことを思い出そうとする時、うまく思い出せた試しがない。

そのぼんやりとした記憶を辿る。確か、中学2年生だった気がするから、今年で5年か。たしかに、なんか節目っぽい。

その、おそらく大事な「おまいり」が、今行われている。全く普段の格好通りの父と、その父にすっかり似てきた弟が、リビングの横の仏壇がある部屋で、正座をしながらお経を聞いているのだろう。

私は、逃げてきた。

「おまいり」があると言われた時、私の口をついて出たのは「今日予定あるわ」という言葉だった。

父は「そう」としか言わなかった。
夜の予定を昼に言ってきたのだ。
形式的にやるというだけで、別に子供達に出席してほしいという思いなどないのだろう。

予定あるとは言ったものの、本当は何もすることなどないので、今私は公園でアイスを食べている。ラブポーションサーティーワン。甘酸っぱくておいしい。

もうちょっと早く言ってくれたら、心の準備ができたかもしれないのに。得意の他責思考で、罪の意識とやらをほんの少し薄める。

5年もあってまだ心の準備とか、笑える。

「おまいり」があることを直前に教えられたって、もっと前から知っていたって、どっちみち私は言い訳をつけて逃げていただろう。

5年か。長いのか短いのか分からない。

5年の間、家族の会話で母の話が出たことはない。一度もない気がする。覚えていないだけかもしれない。

そもそも、会話が多い家庭ではない。演劇部の弟とは話すが、父と話すとストレスが溜まるので必要最低限の会話しかしない。その必要最低限の会話も、私が高校を卒業してからはほとんどなくなった。

話すことはないが、母のことを考えることはある。でも、考えようとして考えたことはない。母の好きだったバンドがテレビに出ている時、一緒に行ったカフェの前を通った時。そういう時に、ふと思い出してしまう。

本当のことを言うと、思い出したくない。思い出しても、何にもならないから。いい思い出より悪い思い出の方が遥かに多く覚えている。私が思い出す部分はいつも、母の弱さと、私の子供さでしかない。実際どうだったのかは分からないけれど。分からないから、余計に怖い。

怖い。過去は変えられないし、結果は結果だから。もっとこうしていればと思っても、はっきり言って、無駄だし。

だから、いつしか、考えることから逃げていた。上手に方向転換する術を覚えてしまった。ずっと何かしていれば、考える暇もない。考えなければ、傷つかない。傷つきなくない。

仏壇の前に正座して、お経を聞いて。
そんなことをすれば嫌でも考えてしまう。
考えるための儀式なんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけれど。

その数分間を、耐えられる自信がなかった。
自信じゃなくて、覚悟かもしれない。
そんなに深いこと考えずにいればいいんだろうけど、またしても私は逃げてきてしまった。

いつか直面しなくちゃいけない問題から、ずっと逃げている。立ち向かう勇気はないくせに、逃げる勇気だけがついてしまった。5年間でいちばん成長したことは、逃げることかもしれない。成長でもなんでもないか。

こんな私をどうすればいいんだろう。
逃げない強さはどこから湧いてくるんだろう。
湧いてくるわけはない、それだって覚悟の問題だ、と思う。

逃げる自分とうまく付き合う方法を考えたほうがいいのかもしれない。その考えからもどうせ逃げる私は、とりあえず今日は、文章に逃げることにする。

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