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聴覚障がいの人が働くスタバで見た「当たり前」と偏見の変え方について

こんにちは!あやにーです。
私は今マレーシアにきています。

古くから私を知っている人はご存知かもしれませんが以前マレーシアに住んでいたこともあり、私にとってはもうひとつの母国とも呼びたい、そんな国です。

今回のマレーシア滞在中にどうしても行きたい場所がありました。
それがこちら

STARBUCKS Proudly Served by Deaf Partners
一時期日本でニュースサイトなどで取り上げられ、話題となった聴覚障がいのあるパートナー(スターバックスで働く人をスターバックスではパートナーと呼んでいます)が働くお店です。

公式サイトでのリリースはこちら

注文は手話やパネルなどによって、注文することができ
スターバックスでよく見かけるような大きな声での注文がないため、「世界で一番静かなスターバックス」と呼ばれていることも。

今日はここで私が感じた「当たり前」のすごさについてシェアをしたいと思います。

※記事の中では、スペシャルニーズの方を障がいのある方という表記で記載をしています。あらかじめご了承ください。

そこにあって「当たり前」という空気

これを読んでくださっている皆さんは「障がいのある人が働く店舗」と聞いたときに、どういった印象を持ちますか?
私はいろんな意味でチャリティーに参加するような、支えてあげたいような、そんな気持ちを持ちます。
今までも「障がいのある人が作ったもの」と聞けば、募金や寄付のような気持ちで購入をすることも経験があります。

今回行ったスターバックスへ向かったとき、私はそうした気持ちがゼロだったわけではありません。

このスターバックスでは特別なサービスやメニューがあるわけではなく、ほかの店舗とすべて同じメニューです。
カスタマイズもできますし、テイクアウトもできます。
スターバックスとしてできないこと、特別なことは一切なし。

手話のイラストがデザインされた、ここだけの限定グッズがあるくらいで店舗の違いはありません。

注文は手話、もしくはメニュー表を指差したり、ボディーランゲージにて行います。
パートナーたちはスターバックスらしくとてもフレンドリーで、手話がわからないお客さんに対しても最初は手話で話しかけ
「このドリンクはエクストラホイップがお勧めですよ」「今上に振り掛けるナッツが売り切れなんですが、ほかのパウダーはどうですか?」など色んな提案をしてくれて、いたって普通のスタバ。

さらにここにきているローカルなお客さんは「スターバックスコーヒー」として利用していて、特に何か特別なこともなく
当たり前のように注文し、当たり前のようにすごしている。

あとで触れますが、ワークショップで一緒の席になった人と話をしたときに「コーヒー飲めるから、別に何も困ってないしね」「近くだからここに来てるだけよ」「働く人に障がいがあるとか別に気にしたことなかったよ」
「日本では話題になったの?マレーシアでは近所の人も知らないよ(笑)」

これってすごいことすぎないか......?とびっくりしたと同時に、ここまで来て私は自分の持っている感情に対しての違和感を覚えました。

このスターバックスコーヒーはミッションに
「To inspire and nurture the human spirit-one person,one cup and one neighborhood at a time」を掲げています。

「助けてあげよう」という気持ちが実際のところ必要がない場面もたくさんあること。
障がいがあるかどうかは、フォーカスすべき事項ではないこと。
別にここで飲んだコーヒーが何かに寄付されるわけではなく、ただ給料になるだけなんですよね。

私の持っている「助けるべき」という気持ちはとてもエゴイスティックなのだと、とても反省しました。
求められているときに助けるのとは気持ちが違っていて、求められていないときに助ける気持ちを持っているのは、それこそ偏見なのだと。

マレーシアは多国籍な民族の国で、宗教や言語も多様なのですが、いい意味で他人に深く興味を持つことはあまりなく
「いろんな人がいて当たり前だし、何か問題がないなら別にいいじゃん」という、この国ならではのいい意味での適当さもあり
こうしたスペシャルなスターバックでも「当たり前」の空気が漂っていて、すごく心地がよかった。

スターバックスパートナーと体験する手話のワークショップに参加

今回タイミングよく手話のワークショップもあるということで、私も参加してきました。

参加は無料で、事前予約もできますし空席があれば当日の参加も可能です。
パートナーとSiDの講師の先生が教えてくれて、参加するとキーホルダーとテキスト、ドリンクの25%オフチケットがもらえます。
すごいサービス!!

外部の講師を招いたコミュニケーションプログラムで参加者の年齢層も20代30代を中心に幅広い年齢層が参加。

またレッスン中に、そのレッスンを見て興味か沸いたティーンたちが「私たちも参加したい!」と突然参加も。
外から見える場所でのこうした理解とコミュニケーションを深める場はとてもいい取り組み!


余談ですが、日本語と英語の手話は表現がまったく異なり、さらに英語もアメリカ英語とイギリス英語と言語が異なります!
この日学んだのはイギリス英語ですが、先生いわく「マレーシアの英語とイギリスの英語って、ブリティッシュイングリッシュだけど実はちょっと違ってて...」

難しすぎる!!!(笑)ちなみに働いているパートナーさんは「私はマレーシア手話しかわからないから、日本語の手話も教えて!」と手話の教えあい!
夢にまで見た手話の翻訳を少しだけ体験して、とっても感動!

色んな人がいて、色んな形で社会と関わっていける。
ただの理想ではなく、こうして実践している場があるということにも勇気付けられました。

マレーシア流距離感は偏見問題をなくす方法なのかもしれない

このスターバックスカフェだけでなく、日本でも障がいのある人が活躍する場は増えつつあります。
そうした中で身体的、精神的に障がいのある人が溶け込み「当たり前」である空気を作っていける社会に日本もなっていくといいなと思います。
私はどうしたら作っていけるんだろうと改めて考えるきっかけになりました。

障がいだけではありません。
マイノリティグループに属する人においても「当たり前」であるという空気が一番その人にとって心地のよいものになっていくはず。

私たちはよく「偏見をなくそう」という言葉や行動を目にします。
偏見によって、苦しんでいる人を助けたい。社会的地位を上げたい。そんな思いから、そうした活動に出るのだと思います。


でもきっと本当は「偏見をなくすこと」ではなくて、そこにいることやあることが「当たり前」という空気を作っていくことで
偏見の元にフォーカスをしすぎるよりも前述でも触れている
「こうした人もいるよね。色んな人がいるけど、問題ないなら別にいいじゃん。お互い様でしょ」くらいの
マレーシア流の距離感の取り方が、実は悪くないのかもしれません。

私たち日本人はまじめで一つ一つの問題を解決するために一直線で「がんばらなーーー!!社会が!国が!」となりがちですが
こうしたいろんな国の距離感のとり方のよい部分を取り入れることは、きっと損ではないと思います。

考え方ひとつとっても、やはり経験からなるものなので急に当たり前を作っていくことはとても難しいと思います。

だからこそ、こうして文章で皆さんに思ったことや感じたことをシェアすることで伝えていきたいし
よりよい社会を目指して、私も「当たり前」をもっと自分の中に持って生きたいです。

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