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我が愛猫

あいつが我が家に来たのは、もう30年近く前のこと。母の姉が飼っていた猫だったのだが、伯母が手を焼いてしまい、我が家に引き取られた。
伯母が言うには「付き合いがある肉屋が飼っていた猫の子ども」だという。可愛い順にもらわれていって、最後に残ったのを伯母はもらったらしい。

我が家に来た当時のことは今も覚えてる。ろくに手入れされていなかったせいで全身に毛玉ができており、かたくなってしまった塊をジョキジョキ切る作業から始めたのだが、猫はわかりやすい威嚇の声ではなく「ウー……」と低いうなり声を上げ続けていた。

長毛種の猫といえばおっとりしているイメージが一般的にあるようだが間違いである。実際我が愛猫は見事な長毛種だが勝ち気なタチだった。
玄関に設置された風除室でひなたぼっこしながら外を眺めていた猫。そこにシュッとしたかっこいい系雄猫が近づこうとしたら、思い切り威嚇していた。しかもガラス戸の存在を忘れてしまったらしく、外にいる猫に飛びかかろうとした。当然ぶつかる。見事にぶつかる。ドンと大きな音がした。猫はひっくり返っていた。が、すぐに体を起こし、何事もなかったかのようにその場を離れていった。と、こんなエピソードにはことかかない猫だった。

母が掃除機を掛けようものなら掃除機本体に飛びかかりケンカを売る。モップを掛けようものならモップに食いついて離れない。窓にワイパーを書けていると、ジャンプしてそのワイパーに猫パンチする。床暖の上で腹出して足押っ広げで寝ている。などなど本当にこいつは猫か?と疑いたくなる所作ばかり。

ここまで書けば「あー、猫だよねえ」と半ば諦観の念をにじませたセリフが出るだろうと思う。が、忘れられないエピソードがヤツにはある。

夫氏と付き合う前に交際していた男性を我が家に招待したとき、猫は思い切り威嚇した。彼は彼で、どうにか仲良くしたかったらしく、餌だのおやつだのあげようとするのだが、猫はシャーフー言うばかり。いろいろあってこの彼と別れた数年後、カットバンをポケットに忍ばせて夫氏を家に入れたら、驚くべきことが起きた。

前彼のときはまったく近づこうとしなかったのに、夫氏にはすり寄ってきた。しかも初見で腹は見せるわ、腹撫でろ攻撃はするわ……。その様子を複雑な気分で見ていた。

そして結婚した翌年、猫は旅立った。
まあ、長い時間を一緒に過ごしていた家族の死は、仕事が手に着かなくなってしまうど気持ちを暗くした。母も同じだったようで、こんなに悲しくなるのなら二度と猫は飼わないと言っていた。

たかがペット、されどペット。ペットとして迎えたはずの猫は、18年という時間を掛けて家族になっていた。母と大げんかをしたときには二人のあいだを行ったり来たりして、それがそれぞれを慰めに来ているように思えたものだった。その彼女が虹の橋を渡って、もう20年以上が経つ。
昨年母の施設入居に伴い家財道具を整理しにいったとき、猫の写真が飾られていたのを見て、大泣きしてしまった。年明けから張り詰めていた糸がふいに緩んでしまった瞬間だった。

大人になると泣けなくなる。泣いたら自分を支えているものが崩れてしまいそうで怖いのだ。本来ならば夫氏に吐き出せばいいものを、生まれつきの我慢強さが災いしてしまい全部抱えていたから、とにかく苦しくて仕方がない頃だった。それが猫の写真を見た直後、理性もなにもかも砂のように消えていき、溜まりに溜まっていたものが涙になった。

泣くだけ泣いて、すっきりした。やらねばならないことに向き合った。そのときから半年が経ち、その頃の自分を振り返りながら、まだ自由だった頃の自分と猫と母の思い出に一日浸っていられた。私にとって、ねこの日はそれが許される一日なのだ。

ペットショップで我が愛猫と同じ見目の子猫を抱っこする度、あやつの姿が頭に浮かぶ。一緒に過ごした18年のあいだに彼女がやらかした事件を思い出しては忍び笑いしてしまう。これは今現在飼っているハッムに対してもそうなのだ。

夫氏は定年を迎えたら犬を飼いたいと言っている。が、私は猫好きなので、一緒に飼おうと言ってくれた。そこにハッムも加えたらどうなるだろう。そんなことを考えながら私は今日働いていた。

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