「高齢者」としての自分の身の振り方

母の一件で、自分の「高齢者としての身の振り方」を考えさせられた。
幸いにも我が夫氏は65才まで働く意思があるようなので、少なくともあと8年は贅沢さえしなければ月に一度のゴルフを楽しみに生活できそうだ。夫氏が65才になってシニア社員になるとほぼ同時に、私も幾ばくかの年金をもらえるようになるし、重ねて言うが「贅沢さえしなければ」二人で生きていけると思う。

昔の話だが、遺族年金の審査を担当した頃こんな言葉を耳にした。「遺族年金は我慢料」特に年配の女性からだ。
厚生年金や共済年金を受給していた夫が死亡した場合、妻には遺族年金が支給される。細かな計算があるが、大体夫がもらっていた年金の半分くらいだ。(遺族年金の額は「夫がもらっている厚生年金部分の2/3と見ていい)
そしてこの遺族年金は非課税、つまり収入にはならない。が、妻が厚生年金あるいは共済年金を受給していた場合、併給調整が必要となる。
併給調整といっても、夫と同じく長く厚生年金・共済年金を掛けていた人が対象となるケースが多い。ほとんどの場合、妻は自身の厚生年金を支給停止、国民年金と遺族年金を受給を選択する。私が在職していた頃(20年位前)は、前述した自身の厚生年金と遺族年金の併給を利用できるのは一部で、圧倒的に自身の厚生年金を停止、遺族年金受給というパターンが多かった。

さて我が身の場合、夫氏の遺族年金はそこそこの額である。それに自分の国民年金を足せば、やっぱり贅沢さえしなければ生きていける。が、ふと思うのだ、豊かな老後とは一体どのようなものだろうか、と。

母の一件で、自分の「今後」を考えたとき、五十路に突入した我が身の将来はぼんやりとだが輪郭が見えた。あとはこれ以上景気や年金制度が悪くならないよう祈るだけだ。年金という制度を知っているからこそ、そう思う。

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