感情の言語化

わたしはお話を書くとき、自分自身のなかに芽生えた感情に名前を付けることから始める。といっても、すぐにできるわけじゃない。最初の頃は、輪郭すら見えない感情をどのように書けばいいのか分からず悩んだものだった。
感情の海はとても深い。お話を書き進めるごとに深く深く潜り込み、感情のかけらをひとつひとつ拾いあげなければならない。そうして集めたものから余計なものを取り除き、言葉にしていく途中でたまに溺れているときがある。濃度を増した感情にのみこまれ、何も手につかなくなってしまうのだ。

「鈴のアンクレット」より引用

2016年3月にお話を書き始めて、もうすぐ8年になる。この間いろいろなことがあり、今は個人で細々とお話を書き続けている。大人の女性向けの恋愛小説を中心に執筆しているが、たまに、ごくまれに恋愛とはかけ離れた話を書くこともある。その一つを、実は3年放置している。

放置というか手をつけていない理由は、東日本大震災が起因している人間ドラマだからだ。あの頃の自分と夫氏の微妙な関係を軸にして書いたものであり、しかも被害を受けた陸前高田市の光景を目にしたときに発露した感情を言語化できていないから肝心な場面をいまだに書けていないのだ。

震災が発生し、一週間後には親類の無事を確認できた。が、一人だけ津波にのまれてしまい半年行方不明になっていた親戚がいる。その方には本当に世話になっていたし、一人っ子の私にとって大きなオニイともいえる存在だっただけに遺体が見つかったと一報がはいったとき人目も憚らず泣き崩れてしまったものだった。

震災から13年が経とうとしているが、陸前高田市の街は着実に復興を遂げているが、そこに住む人々が負った心の傷はおそらくまだ癒えていない。なぜ私が言い切れるか、それは私自身、たった10年程度しか夫氏とともに帰省していないが、それなりに思い出がある場所が跡形もなく消えてしまったショックからいまだに立ち直れていないからだ。

元旦発生した能登半島地震は、13年前の記憶をまざまざと蘇らせた。しばらくのあいだ涙を抑えることができなかったし、今もそうだ。一月中旬から働きに出ているからその頻度は少なくなったが、ふいに思い出してしまい涙とともにため息が出る。こんな状態だから、震災が絡んだ話はまだまだ書けないし、書いたとしても感情的な文章になってしまうのは目に見えている。だが、感情を言葉にし文章にすることでしか、ざわつく心を落ち着かせることができないのも事実だ。

お話を書くようになって気持ちを言葉にすることができるようになったし、伝えたいものを口にできるようになった。以前より生きやすくはなったが、いつまでも言語化できない感情の存在を無視できなくなったのはしんどいね。

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