棟方志功記念館

私は小学生のころ、春休み、夏休みと冬休みはほぼほぼ県立図書館にいた。というのも、母が働いているあいだ図書館で好きなだけ本を読んで良いと言われたからだ。母の職場は図書館に近い、わけではなく、母の職場から図書館まではバス停3つ分+子どもの足で15分ほどかかる。そこをチャリで行っていたのだ。若かったとしか言えないが図書館で見聞したもののおかげで、私はお話を書けていると言って良いだろう。その通い倒したもとい通い詰めた図書館のとなりに棟方志功記念館がある。

棟方志功といえば、淡谷のり子さんや吉幾三さん、王林と肩を並べるレベルで青森県のスター。というか「世界のムナカタ」という二つ名が有る版画家だ。私が小学生のころは、図工の時間に版画があって、そこで棟方志功画伯の話を聞かされたものだが今はどうなんだろう。ともかく図書館に通う前に耳にしたことがある棟方画伯の記念館に足を踏み入れたのは小学四年生のときだ。子どもが一人で行っていい場所なのか分からないが、お金を払って入場できたから大丈夫だったはずだ。受付を通り作品が展示されているフロアへ入ったら色鮮やかな色彩に彩られた版画がところ狭しと並んでいた。

版画は白と黒の世界だ。浮世絵も「擦る」から版画絵といっていいのだろうが、棟方画伯の版画はねぶたによく似た鮮やか以外例えようがない色使いだった。後に画伯が大のねぶた好きと聞きかじり、ああ、なるほどと納得したのはここだけの話である。
特に女性の版画絵はエロスを感じた。色気という生半可なものではなかった。生きることとエロスは結びついているのだな、と感じたものだった。

中学生になり図書館から足が遠のいた。高校生になっても戻ることはなく、大人になったらなったでどうしても行かなきゃ行けない場所ではなくなった。そして今日、およそ40年ぶりに行ってきた。今日3月31日で閉館になるからだ。

強いインパクトを受けたものに、二度衝撃を受けることはない。そう思いながら棟方画伯の版画絵を見たら、子どもの頃には言語化できなかったものがわかった。それは生のパワーだ。圧倒された。頑張らねばと思った。精一杯生きようと決意した。前のめりになっていた気持ちを庭が静めてくれた。これほど心の動静を整えてくれる場所はないと思う。

一度なくなったものを復活させるのは難しい。だが、願わくば棟方志功記念館をもう一度、建てて欲しい。

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