はじめまして のご挨拶

私という人間が何をやっていこうとしてるのか、知っている人はまだ数少ないけれど。一人でも多くの人に、私のやっていこうとすることに共感してもらいたいから。

私の定めた活動の焦点についてお話します。

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 見えないところにこそある美味しさの根拠

我が家2世帯家族でして。小さい頃から食卓にのる野菜も漬物も味噌もおじいちゃんおばあちゃんの手作りでした。加齢で今はもう畑仕事はやっていないけれど、私は成長した分、美味しさを生み出す苦労がわかる。腰を屈めて立派な一人前の野菜を育てること、手を真っ赤にしながら大根を洗い干すこと。若者がやっても疲れるこの仕事を、おじいちゃんおばあちゃんは美味しいものを私たちに食べさせるために続けてくれた。

こうやって苦労が見えたものは、食べるときにもっと有り難く感じるし、さらに美味しく感じる。 

でも、スーパーで買う食材だったりレストランで食べる料理の中の食材の、美味しさに繋がる根拠はもっと見えにくい。見えにくいというか、むしろ見えない。

だから私は、このこっそりと潜んでいる美味しさの根拠を引き出したい。


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視覚と味覚 双方向からのアプローチ

どのくらい大切に育てられた野菜なのか、どんな思いで生産者さんは食材と向き合ってきたのか。美味しさの根拠を引き出せたのなら、それを一人でも多くの人に伝えよう。

まずは視覚。引き出した美味しさの根拠を私が文字に起こす。目で読んで脳内に情報を入れると、美味しさの根拠がよくわかって、食材を育てるってこういうことなんだと学ぶことが出来る。料理を提供する場で直接お話する方法も考えたけれど、私だったら脳内80%くらいは「早く食べたい」で埋まってしまうから(笑) 

この根拠を踏まえた状態で実際に、パクリ。すると今までとは違った味わい方が出来るんじゃないかな。他のものとはどう違うかな?と慎重に味わってみたり、食材美味しさを噛みしめるためにじーっくりといろんな味を探してみたり。これが味覚からのアプローチ。

つまり具体的なイメージは                                                                   視覚=メディア                                                               味覚=ケータリングをはじめとした私の作る料理             この2つから食材の魅力を伝えていくことを進めていこうと考えています。

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"食べる"を口を動かす作業で終わらせない

まとめると、食材一つ一つにストーリーがあって主役であるということ。ただ料理に使われているという、それだけで終わって欲しくないということ。

忙しいとき、10分足らずで食事を済ませてしまうこともある。そんな時はそこそこ美味しければ、どんな食材が使われているかなんて二の次。だって食事の本質は生命維持の営みであるから。

でも一日に3回もある食事の機会が全部そのためでは勿体ないのではないかな。誰かと食卓を囲んだとき、ゆっくりと食事の時間を設けることが出来たときに、このお皿の中にはどんな物語があるんだろうって想像。

そういえば食材の魅力を伝えようとしている子がいたな。その子のメディアを覗いてみよう。へえ、ここでこんな美味しそうなものが育っていたんだ。食べてみよう。あれ、この食材ってこんなに美味しかったっけ?ああ、そうか。美味しさを生み出すためにこんな努力や思いが込められているんだもんな。納得だ。

こんな感じ。これが理想。あちこちで食事をしながらこんな体験が生まれて欲しい。

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私が創り上げる食事のカタチ

そんなうまくこのカタチが提唱できるんですか?と言われても、私だってわからない。けど、絶対に共感を持ってくれる人、応援してくれる人はいる。同時に、自分の育てたものの魅力をもっと知って欲しいと感じている生産者さんもいる。ケータリングは昨年の9月から7,8件受けさせてもらった。そのなかで、やっぱりただ食べて終わりにはしたくないと思った。せっかく食に関われる場なのだから、私が伝えたいことは伝えたい。ケータリングとメディアの一体化を通して、育てる人と食べる人を繋ぐ活動。私はここに挑むことに決めた。













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