#6【長崎原爆資料館での気づき】

早いものでもう7月ですね。暑い日が続きますが皆様いかがお過ごしでしょうか?

さて今回の投稿では、3月に行った長崎原爆資料館での気づきについて書きます。

長崎市出身で、現在は微力ながらも平和活動に携わっている私は、これまで何度も資料館を訪れてきました。なので今回は、ちょっと視点を変えて見学をしてみました。

どんな視点かというと、原爆資料館に訪れている「人」に注目してみたんです。この機会を通し、気づいた点を以下の2つ挙げて皆さんに共有したいと思います。

「意外と若い人が多い!」
長崎市出身で、幼い頃から平和教育を受けてきた私にとって原爆資料館は「学校行事で行く場所」でした。しかし、今回「見学者」に注目してみると、学生や若いカップル、小さいお子さんを連れたご家族など本当に若い世代の方が多いことに気が付きました。直接聞いたわけではないので実際のところは分かりませんが、誰に強制されたわけでもなく、何かしら学ぶ意義を感じて資料館を訪れている方が多いように感じました。同じ世代の若者として、なんだか嬉しい気持ちにもなりました。私は将来、どんな職に就きたいかも、何がしたいかも明確なビジョンはありません。平和活動を職業とするかどうかも正直分かりません。しかし、今回のこの気づきをきっかけに、自分が親になったとき、我が子を“わざわざ”原爆資料館へ連れていく大人になりたいと思いました。


「メッセージは伝わっている」
この日、大勢の高校生らしい団体も見学に来ていました。これはチャンスとばかりに、彼らの会話に耳を澄ませてみました。そこで気が付いたのが「かわいそう」で終わっているということです。ある生徒が原爆によって黒焦げになった弁当箱の展示物を見て、「これってお母さんが朝から一生懸命作ったお弁当だよね、なのにかわいそう」と口にしていました。私はこの言葉を聞いて、展示物が発するメッセージがしっかりと伝わっているのだと確信しました。その学生は恐らく自分の日常と被爆当時の日常を比較してそう言ったのだと思います。これは記憶の継承において非常に素晴らしいことですし、今後も大切にすべき感情であると思います。しかし、「怖い」や「かわいそう」で終わってしまうことは問題視すべき課題でもあるとも言えます。悲惨な歴史を知ったのなら、今を生きる自分は何をすべきなのか、自分はどうしたいのか、というように被爆の記憶を主体的に認識させる教育が必要であると思います。資料館の展示物一つひとつが訴えかけるメッセージを訪れるすべての人が自分事としてとらえ、少しでも行動に影響を与えられる場所に変えていくことも必要であると思いました。

資料館を見学するにあたって、これまで意識したことがなかった「人」に注目することで、多くの気づきを得ることができました。今回の学びをもとに、長崎の地で平和活動に携わる一人の若者として、抱える課題と向き合いながら新たな挑戦にも取り組みたいと思わされた機会でした。

最後までご覧いただきありがとうございました♡

↑これと”まったく同じ”文章をナガサキユース代表団のFacebook(→https://www.facebook.com/nagasakiyouth)でも投稿しておりますのでそちらもご覧ください♡(笑)

ではでは。


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