#4☁

すっかりご無沙汰してしまいました。

今日で4月も終わりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

今回は、先日「雲」というタイトルで書いた作文をそのまま投稿しようと思います。現在携わっている平和活動の中で、お世話になっている先生に提出したものなのですが、ちゃっかり添削していただいた方を投稿しますね(笑)


幼い頃、雲の形を動物にたとえては、母に報告していた。「今日見た雲は馬みたいだったよ」「今日のはクマだった」。発見を伝えると、母も嬉しそうな、優しい笑顔で応えてくれた。当時は何気なく、一種の遊びのような感覚で楽しんでいた。コロナ禍でステイホームが強調され、ゆっくりと空を見上げる気持ちの余裕も失いがちだった、この1年。ふり返ってみると、幼いながらに美しいと感じた雲の形を、誰かに伝えたくなる何気ない日常は、なんと穏やかでわくわくした思いに包まれていたことか。ごく当たり前の日常が、何かに脅かされることなくゆっくり進んでいく。大学生になったとたんにコロナ禍に巻き込まれた私は、日常の幸せを持続可能なものにしてくれるもの、それこそが平和であると感じる。
1945年8月9日の長崎は、曇り空だった。青空に浮かぶ、動物に似た雲を見つけるような空ではなかった。しかも、軍事工場がたくさんあった長崎は、何度も空襲を受けて、8月9日以前にも多くの方が死傷していた。空襲警報の音、爆弾の音に怯えながらの日々が続いていた。それでも、私の幼い頃のように雲を動物に例えて遊んでいた子供がいたかもしれない。その姿を見てほほ笑む母親がいたかもしれない。8月9日もいつもと同じように朝食を食べ、「いってきます」「いってらっしゃい」といった家族の会話をかわして、多くの人の一日が始まったことだろう。戦禍のつらい毎日の中であっても、暮らしの中の何気ない幸せを感じながら、平和への望みを抱いていたことだろう。「きのこ雲」は、そんな日常に落とされた。
原爆の記憶を学んできた被爆地育ちの私は、「きのこ雲=悲惨」というイメージを持ち、それを自明の事として認識していた。しかし、数年前に見たあるテレビ番組で、米国にきのこ雲をロゴマークにしている高校があることを知った。原爆のおかげで戦争が終わったと考え、「きのこ雲=誇り」と受けとめて、その地域ではシンボル的な存在として扱われていたのだ。この一件で、きのこ雲は視点や立場によって認識が異なることを思い知った。私の中で、動物の形をした雲ときのこ雲は、平和と戦争の対極をなすような存在だったが、環境や立場が違えば、考え方やイメージの中で広がる世界も全く異なる。
ひとつ、はっきりしていることがある。核兵器は自分の意志で爆発するものではない。雲を平和なものにするか、そうでないものにするかは人間次第である。戦争を起こすも起こさないも、きのこ雲を発生させるもさせないも、すべて人間の意志によるものである。ただ、人間の意志は多様である。私の学びは、もっとリアルに、多様な見方を持つ人たちと語り合い、お互いを知ることで大きく飛躍できるように思える。


おしまい♡



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