生まれてはじめて父親に「誕生日おめでとう」を言われた話
ハッピーバースデートゥーのちこ!!!!!!!!
どうも、こんにちは、のちこです。
本日うんじゅううん歳になりました。
ありがとうございます、コメント欄が「のちこ!おめでとう!」でうまる様子が手に取るようにわかります。ありがとうございます。
さて、時を数日前に戻します。
父からのメールです。
ここ数ヶ月、あまりの鬱陶しさに着信拒否をしようとも、番号を変え不死鳥のように蘇り私にCメールを送りつけてくる父。
ただ言いたい。
私の誕生日は生まれてからずっと2月7日だ。
こういった連絡がくるようになったのは、父が仕事をやめ引退してからである。箱根駅伝の感想から、家のリフォームの様子まで、事細かに書かれたメールに私は一度も返信していない。
仕事で1年のほとんどを海外で過ごしていた父は、離婚前も離婚後もそう距離感が変わることなく、私にとってはほとんど他人のような人だった。
というより、帰ってきても飲んだくれているか暴れていた父のことは、正直「嫌いな人」である。
私にとって、「父」といえば、これまた1年のほとんどを海外で過ごしていたけれどもいつもメールでやりとりをしていた伯父がその人であり、帰国した時はよく面倒を見てもらった。今でも尊敬する「父」である。
そんな、「嫌いな人」である実父から、生まれた日にちを誤ったメールが届いた。ほう、オノレ、さては娘の誕生日祝うの初心者だな。
それもそのはずである。彼は私の誕生日を一度も祝ったことなどない。
「誕生日おめでとう」と言ったこともない。
歳をとって、なんだか寂しくなって、やるべき仕事がなくなった時、ようやく娘が見えてきたのだろうか。
もう何年も会っていない、そして一緒に暮らしてこなかった娘が恋しくなったのか。
勝手だな、と思った。
散々楽しく自分勝手に生きた挙句、自分が弱った時に頼るのか。
メールは、また無視した。
私は冷たい人間なんだろうか、とずっと思っている。
何をされたとしても、「ずっと何もできなくてごめん」という年老いた父を許さなければならないのだろうか。
何も言わずどこかで健康に生きていてくれればいいのにと思う私は、どれだけ親不孝なのか。
父を父とも思っていない私は歪んでいるのだろうか。
父になんの施しも受けたくないと思う私は、酷い人間なのか。
なんで、お父さん、私に親孝行しようと思える父親でいてくれなかったの?
数日後、メッセージカードと現金が現金書留で届いた。
そこには「2月七日、誕生日おめでとう」と書かれていた。
思い出したんかい。
その謎の漢数字は何かい。
もう、全く、嬉しいなとも思わなかった。
何がなんでも関わりたいという父の意志を感じて、逆に鬱陶しいなと感じてしまう自分がいた。
「親孝行」という言葉は呪いだ。
親孝行したくてもできないという方もいるだろう。
生きているうちに、親孝行すべきと思う方もいるだろう。
でも私にはどうしてもできない。親よりも、余程他人に救われて生きてきた。どうしてその人の子供だからといって、感謝をしなければならないのか。
そうして今日もまた、父から誕生日おめでとうのメールが届いた。
誕生日おめでとうと言ったのは初めてだね、お父さん。
32年間生きてきて父親に初めて言われた言葉が、こんなに苦しいと思わなかったよ。
でも私はそれでいいと思う。
苦しい気持ちは苦しいままに、許せない気持ちは許せないままに。
私は私だ。誰かの娘の私ではあるが、それだけが私ではない。
届いたメッセージカードは捨てた。
「親孝行」の呪いが少しだけ、解けた気がした。
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